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世論調査とは何だろうか

世論調査とは何だろうか』岩本 裕, 岩波新書, 2015年5月


筆者はNHK週間こどもニュースでキャスターを務めた経験を持つ岩本裕氏。できるだけわかりやすく解説しようと試みる岩本氏の意図は十分達成されたと思われる。実際に世論調査を企画、実施された実務経験が生きている。民意を測り、時の政治・政策の批判・チェックに役立てるための武器としての世論調査の重要性もなるほど伝わってくる。

もっとも、本書を通読すると、世論調査の利点よりも、世論調査を通じた「世論操作」に陥りがちなメディアや政治の姿勢に不信感が増してしまった。

私はそもそも世論調査やアンケートの類については答えないことにしている。理由は、この本でも詳細に解説されているが、作成者の誘導尋問や選択肢の意図的な作成により、結果が捏造されることを恐れているからである。個人情報を開示すると、迷惑電話やメールが増えるのも困る。「NHKの~と申しますが」と電話で世論調査がかかってきたとして、本当にNHKが実施しているとどのようにチェックすればよいのか。電話による調査手法は容易である反面、現実的にはますます実施が難しくなるだろう。

国勢調査については国民の義務なので仕方なく回答している。国勢調査の質問項目は通勤の手段や年収など、これを調べて具体的にどのような政策に役立てようとしているのか、はなはだ疑問な項目が多すぎる。これに代えて、地方自治や国政の具体的な政策についてどのように思うかもっと具体的な項目を聞くべきではないだろうか。

手法や目的が全く異なるが、私は民間企業の立場から市場調査のためのアンケート調査を企画・実施・分析した経験がある。有効回答数によって誤差が決まるという統計の基本的な考え方に当初は非常に驚いた。データベースのデータをそのまま放り込むと、複雑な統計学の数式を理解していなくてもたちどころに調査結果が出力されるソフトが世の中にはたくさん出回っている。本書で世論調査と統計学に興味を持った読者に、次に読む本は何かを指南してくれていれば、さらに親切だった。


輿論の復活を目指して

岩本裕氏が紹介している『輿論と世論(よろんとせろん) 日本的民意の系譜学』佐藤 卓己, 新潮選書, 2008年9月は名著である。「世論調査」と表現したときの「世論」は、熟考された後の人々の意見というものではなく、「雰囲気」や「気分」を表す表面的なpublic sentimentsである。「輿」という字の意図的な廃止とともに、public opinionの考え方も廃れてしまったと私は考えていた。しかしながら、現代にはインターネットにより自由に意見を表明できるSNSやブログといったツールがたくさん存在する。これは我々が得た新たな武器である。世論調査のような画一的な方法では輿論を掬い取るのは難しく、また、屑情報が多いのも事実ではあるけれども、例えば、本書で紹介されている「討論型世論調査」の手法をネットに拡大し、それぞれの意見が言いっぱなしではなく、他の方の批判やコメントなどのフィードバックを受けて意見のさらなる深まりにつながれば、新しい民主主義を目指す手法として活用できる。



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中高年ブラック派遣

中高年ブラック派遣 人材派遣業界の闇』 中沢 彰吾 (著) , 講談社現代新書, 2015年4月


人材派遣業界のブラック体質を暴くルポタージュ。


バブル期・リストラ時との類似点・相違点

過去を振り返ってみると、1990年前後のバブル全盛の頃は人手が足りず、気軽に人材が確保できる派遣業に需要が集中した。同時に、高い時給を得つつ、自由な時間を謳歌する手段としての派遣業に登録することが若い女性を中心としたライフスタイルとして認知されていた時代だった。バブルの崩壊とともにそのような若手の派遣社員が真っ先にリストラの対象になった。しかし、先のバブルの時代には、正規社員であった中高年社員はまだ本格的なリストラの対象になっていなかった。さらに、それに続く「失われた20年」はこれら中高年が首を切られることはなく、保護の対象となっていた。これに伴って日本の競争力はじわじわと減退する。つまり、日本の企業は競争力の維持・向上でなく、中高年の雇用保護を選択したのである。

最近の趨勢はそのような中高年を許さない。リストラによる首切りは、ある意味で、これまで恩恵に預かってきた中高年に長年の付けの支払いを要求するものである。日本では雇用の喪失は大変なリスクとなる。それまで年収1000万円前後を受けていた方でも、一夜にして状況が一変しうる。転職に対して社会は非常に非寛容である。

中高年になってから、定職をもたずに人材派遣に頼らざるを得ない方が本書によると非常に悲惨な状況になっている状況が本書でよく理解できた、私自身も、一つ間違えれば容易にこの著者と同じ境遇に陥る危険性がある。

派遣社員のコストカットにより利益を追求する構図は昨日読了した『ルポ 保育崩壊』小林美希, 岩波新書, 2015年4月と同じ構図である。利益を追求し、物言わぬ弱者たる社員に負荷を負わせる。
安部政権のもと、景気は回復傾向にあるとはいうものの、箍のはずれた規制緩和の盲点を衝き、悪徳な企業が跋扈する事態となりつつある。前回の景気回復時期にも、悪徳企業が幅を利かせた時期があった。時代は繰り返す。

中沢彰吾氏の2つの提言

本書の最後に中沢彰吾氏は2つの提言をしているが、私が読みながら感じたのもまさにこの2点である。

派遣業者の不法行為については本書でも書いているように、多数の報告が厚生労働省にあることだろう。だが、個別のケースについては証拠の保全が十分でなかったり、派遣者本人に適正な法律知識がなかったりする場合が多く、適切に処理されることはごく希であると思われる。この点、中沢彰吾氏は労働法、労働派遣法にこれだけ詳しい背景知識をお持ちであり、また、適切にレポートする能力もお持ちであることから、覆面調査員として活動するには適している。ちなみに、何らかの制度を創設するには、法律を新たに作る必要がある。このためには、政治家を動かすか、官僚にとって利益があることを説明して説得する必要がある。覆面調査制度を作るために新たな予算を取れるとなれば、厚生労働省も動くのではないだろうか。ダメなら、政治を動かすしかない。いずれの場合でも、問題意識を国民に浸透させることが前提だ。

悪徳派遣業者の見分け方の類については、この内容で一冊で新しい本が書けるのではないだろうか。問題があった場合の具体的な対処の方法や、労働法、労働派遣法の詳しい説明がまとまった本を作成し、労働派遣業者は各登録時に必ず渡さなければならないものとするとすれば、簡単に実施できる。

年収保障制度の必要性

深夜の弁当工場で働く女性を題材にした桐野夏生の小説『out』では最低限の生活を送らなければならない女性たちの貧困が様々な問題の根底に存在していた。今回この本を読みながら最初に頭をよぎったのはこの小説だった。人が人らしい生活を送るには、1世帯最低年収200万円は必要だ。年収保障制度の創設を望む。

ルポ 保育崩壊

ルポ 保育崩壊』小林美希, 岩波新書, 2015年4月


働く女性の環境整備が急務であり、働くために児童を預けたくても預けられない「待機児童」の問題がずいぶん前から問題となっている。安部政権の「待機児童解消加速プラン」は2017年度末にこれを解消させるべく集中的に国家予算を投入しつつある。ところが、肝心の保育の現場は利益第一主義の質を伴わない株式会社の参入で、保育の経験が皆無の新人ばかりが担当者として充当される。優秀な保育士や正社員に負荷が集中するため、経験者でさえバーンアウトする。「待機児童解消加速プラン」という名の数合わせのプログラムが齎した混乱状況に対する強烈な批判の書となっている。

もう少しはっきり言うと、業界最大手の株式会社JPホールディングスという会社がブラック企業だと名指しして著者は批判している。本書第3章の横浜市の例では共産党の市議の調査ということなのでそれだけでは信頼性にいまひとつ欠けるものの、人件費が支出の大半であろうと思われるのだが、この園では人件費が45%程度に抑えられているとのことで、経営方針に大きな疑問符が付く。人に投資せずに、金だけ集めて、何をしようというのであろうか。

ちなみに当方の娘は公立の幼稚園に通わせた。幼稚園はお迎えが2時前後と早いので、本書で扱われるような保育園の保育士と比べるとずっと気軽そうに見えた。その分保護者への負担は大きい。私の娘の学級は1組に40人近くもいたが、「動物園状態」になることはなかった。これはひとえに、ラッキーだったからかもしれない。1組40人というのはそれにしても少々ひどかった。政府は箱物を作ることには熱心だが、ソフトへの投資が不得手だ。保育士の待遇改善は投資と思わなければならない。それがどうして出来ないのだろうか。

労働時間の経済分析

労働時間の経済分析 超高齢社会の働き方を展望する』山本勲,黒田祥子(著), 日本経済新聞社, 2014年4月

日本人は働き過ぎなのか。本書は民間企業(といっても日本銀行だが)から大学の研究職へと立場を変えた著者が自らの長時間労働の経験を踏まえつつ、原因を経済学的に分析しつつ、改善に向かうための方策を探った書である。

日本人と一言で言っても、雇用形態は千差万別であり、正規・非正規のほか、年齢や性差をここ数十年の推移で追うのは非常に骨の折れる仕事である。本書は先行する様々な研究を踏まえつつ、日本人の労働時間の実態に迫ったもので、基礎的な統計資料として再利用価値が高い。

たとえば第1章、図1-8 壮年男性正規雇用者に占める長時間労働者比率を見ると、労働時間が週60時間を越える壮年(20-49歳)男性は2割もいることが分かる。そしてその傾向はここ30年で大きな変化は無い。

本書のほとんどは統計データを基礎としてその解析により実態に迫る手法を用いる。このため論理の流れが非常に明確で理解しやすい。私は経済分析に用いられた数式についてはほとんど理解出来なかったが、分析データの解析は、分かりやすい言葉でまとめられているので、結論部分のみを拾い読みしていくだけでも筆者の論旨は理解できた。


結論の方向性としては消極的すぎる

筆者の分析によると、日本人は外国人に比べて労働時間が長い。これは終身雇用を前提とした不況期の対応を考えると合理的とも考えられるとのことで、安易に形だけ労働時間を短くしてしまうと悪影響が出る恐れがあるとも述べている。ドラスティックな変化を避け、欧米的な考えを部分的に採り入れて手直して対応すべき、というふうに筆者は考えているように思われる。

これは一つの真実ではあるのだが、無意味な長時間労働がもたらす生産性の低下と心身への影響を考えると、筆者が推進すべき方向性としてはかなり保守的過ぎる。とくに心身への悪影響の対策は、現状の法規に任せていたのでは悪い方向性が益々助長されるのではと私は懸念する。

本書の指摘する「ワークライフバランス」の推進についても、その内容が曖昧で、実効性に乏しい。ただし海外企業の比較の中で、海外企業の良い所を採り入れるべきだというのは同意する。詳細については後で述べる。


2015年4月3日に閣議決定された残業代ゼロ法案に関連して

安部政権が推し進めたいわゆる「残業代ゼロ法案」が先週の金曜日に閣議決定された。対象者は年収1075万円以上の特定のビジネスマンに限られるが、安部首相がこの法案にこめた思いは、「仕事は時間でなく、中身にて判断すべきだ」ということであろうと察する。
仕事の評価が時間の長さではなく中身で判断されるべきだというのは至極真っ当な論理である。製造業のラインにて同一の作業を複数の人間で分担するのであれば長時間労働したものが多くの給与を得るべきであるが、そのような形態に合わない職が最近は数多く存在する。従来から「ホワイトカラーエグゼンプション」は日本にも存在しているが、それ以外の職については残業時の時間給の扱いが労務管理の面で非常に煩わしく、現場の部課長から現状を変えて欲しいとの要望が数多く寄せられていたのであろう。

この法案はこのように「仕事は時間でなく、中身にて判断すべきだ」という新しいパラダイムを推し進めるためのひとつの指標的な意味が込められた法案であったように思われる。

残業代ゼロ法案は日本の働き方を変えるか

本書では、日本人の「労働時間観」において、極めて興味深い調査・分析結果を紹介している。すなわち、日本人が長く労働するのは、給与アップを目的としていないという点。もう一つは、残業による労働時間の増加が、自由時間の剥奪につながったとしても、特に不満を感じていないという点である。

つまり、日本人は長い労働時間を苦にしない働き方に飼い慣らされて来たということなのだ。

このような下地のある中で、「はい、それでは明日からは労働時間については全く考慮しません」と言われたことを想定すると、すぐに働き方が変わるはずがない。つまり、従来まで長時間働いて来た人は、この法案の有無に関わらず、明日も同じくらい長い時間労働するであろう。

そうなってみると、法案の作成時に目標として掲げられた「仕事は時間でなく、中身にて判断すべきだ」というスローガンは、労働者にとっては何の意味も成さない。懸念されるのは、心身の健康を害する者が増えないか、ということだ。

私見だが、残業代ゼロ法案では残業の時間が給与に考慮されなくなる点については良いとするが、労務管理面で見た場合、残業時間の上限についてはやはりきちんと管理されるべきだ。そうしないと、健康を害する人間が続出しかねない。この点はきちんと考慮されているのだろうか。


欧米の働き方との違い

日本人の労働時間に対する考え方、ないしは労働観は海外との比較の上で明らかになる。本書では日本人が海外赴任された方への調査・分析を行い、労働時間に対する考え方に変化のあったことが分析されている。この分析結果は私には合点の良く部分が多い。

欧米諸国へ赴任した経験はないが、私はここ20年近くの間外資系企業の日本法人にて勤務している。労働時間に関する考え方が日本と欧米国との間でずいぶんと異なる。

労働時間でみると、欧米人は朝のスタートダッシュがものすごく早く、速い(もちろん人にもよる)。本書にも紹介のあるとおり、ゴールを決めて、その間はものすごくダッシュする。無理も長時間労働も厭わない。その代わり、ゴールを過ぎたら、ゆっくり休暇を取る。そのメリハリが羨ましい。

日本人がこのリズムを自ら生み出すのは無理だろう。本書でも指摘されているように、欧米赴任から日本企業に戻ると、労働のリズムはまた元の日本の会社のやり方に戻ってしまう。

私自身の話を少しすると、私の日々接するお客様は日本のビジネスマンである。こういった方と接していると、こちらも日本の会社時間に合わさざるを得ない場合が多々ある。


無駄な労働時間の使い道

本書211ページに以下のような記述があり、私は多いに膝を打った。

「たいていの仕事は2割の労力で8割程度の完成度に仕上がるものであり、欧州の労働者はその段階までしか仕事をしない。これに対して、日本人は残りの8割の労力をかけて10割の完成度を目指そうとするが、そこまでしても結果は大きく変わらない」

はっきり言って日本人の仕事は無駄が多すぎるのである!

話が横にそれるが、Apple社のiPadはiPhoneとソフトが全く変わらない。ハード的な差異といえば大きな電池を採用したくらいで、ディスプレイの大きさこそ変われども、解像度などについてiOSにて統一した基準があるため、内容的にはほとんど変わらない。

日本のエンジニアはApple社がiPadを売り出した際に、こぞって分解したと思うが、タブレットをスマホと同一のスペックで売り出すなど、日本人からは出てこない設計思想だ。2割の仕事で8割の完成度。iPadに至っては、iPhoneを焼きなおすだけという安易さである。でもそれで良いとするのがAppleの読みだ。かくしてガラケーは競争に破れ、Appleの製品が売れている。


日本人は労働時間を短縮できるか

労働の目的とは何か、という点から見直す必要がある。本書で指摘されているように、同質の日本人だけで働いていると、その同一環境にて変化を求めるのは難しい。欧米人の上司がいれば、雰囲気は変わる。しかし、適任の担当者を採用するといったことは、ごく限られた企業でしか実施は難しいのが実情だ。





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Kiankou Books Review

エコノミストが選ぶ経済図書ベスト10(日本経済新聞,2014年12月29日掲載)

1.『労働時間の経済分析 超高齢社会の働き方を展望する』山本勲/黒田祥子
2.『ミクロ経済学の力』神取道宏
3.『量的・質的金融緩和 政策の効果とリスクを検証する』岩田一政
4.『それでも金融はすばらしい 人類最強の発明で世界の難問を解く』ロバート・J.シラー
5.『サービス産業の生産性分析 ミクロデータによる実証』森川正之
6.『地方消滅 ー 東京一極集中が招く人口急減』増田寛也
7.『なぜ貧しい国はなくならないのか 正しい開発戦略を考える』大塚 啓二郎
8.『コーポレート・ガバナンス』花崎正晴
9.『アダム・スミスとその時代』ニコラス・フィリップソン
10.『その問題、経済学で解決できます』ウリ・ニーズィー、ジョン・A・リスト

中国人には、ご“用心"!

中国人には、ご“用心"! 』孔 健, 三五館, 2012年9月


日本に在住して17年の孔健氏による中国論。現代中国の様子を伝える本は最近日本で数多く出版されているが、そのたびに新たな発見がある。この孔健という著者の本は今回初めて読んでみた。

孔健氏は中国と日本に活動拠点を置き、中国と中国人を外から眺めることで冷静な視点を得ている。中国人の悪い面を辛らつに暴露し日本人に警鐘を鳴らす一方で、中国人の行動の根底にある考え方を日本人に分り易く紹介することに成功している。

孔健氏の指摘によると、多くの日本人は中華思想を誤解して理解している。最近の中国人の我儘で身勝手な行動を見るにつけ、いきおい中華=自己中心的と理解してしまいがち。だが、言葉には気をつけないといけない。中華思想は中国人にとってはフロンティア精神を宿した祖先の子孫としての自負を表す大切な言葉なのである。

返す刀で孔健氏は日本人を批判する。アメリカには「自由」、「開拓精神」があり、中国に「中華思想」があるのに、日本は受身のみで、海外に発信できるものがないではないか、と。日本のアイデンティティーに関わる深刻な問題は、孔健氏が日中間に身を置き両国を深く理解するからこそ指摘できるものだ。


中国国民の間にはびこる拝金主義を批判しつつ同時に日本の不用心さを批判する孔健氏の記述は面白いと感じた。しかし、こと領土と住民をめぐる諸問題については、日本に長く在住する孔健氏でさえ中国政府のプロパガンダに深く影響を受けている。

モンゴル・チベット・ウイグル・台湾の領土・独立問題については孔健氏は中国政府の公式見解の立場のみからしか記述していない。尖閣諸島をめぐる問題も然り。孔健氏は中国政府から眼をつけられないために中国政府批判を控えているのだろうか。係争下にある領土に住む住民への配慮が全く感じられない。相手の意見や反論にじっと静かに耳を傾ける姿勢を孔健氏からまずは示して欲しい。


タイトルにある「用心」は中国では文字通り「心を用いる」という意味になるらしい。

同じ漢字を用いるために日中間で別の意味となり誤解が生じることがよくある。笑い事で済されない場合もある。『中国人民解放軍の実力』塩沢 英一, 2012年11月でも、漢字のニュアンスの違いが原因で相手に誤解を与えた事例が紹介されていた。中国人とのコミュニケーションでは特に「用心」したいポイントだ。

テーマ : 読んだ本。
ジャンル : 本・雑誌

内山節のローカリズム原論

内山節のローカリズム原論 新しい共同体をデザインする』内山 節, 農山漁村文化協会, 2012年3月


社会のグラウンドデザインを考える際に、哲学の果たすべき役割が最近特に増している。町や村、共同体とは何なのか。そしてどうあるべきか。歴史や民俗あるいは都市政策といった様々なアプローチから共同体の「何たるか」の研究が進められているが、それを大きく取りまとめて方向性を示すのが政策の下地となるべき哲学の役割である。

少し前までであれば、哲学は形而上学の世界に閉じていればよかった。だが、現在の複雑な都市問題や環境問題を眼の前にして、解決のための具体的な方策を提示するものとして哲学が必要とされている。先日読んだ『風景のなかの環境哲学』 という本を著した桑子 敏雄という哲学者も、風景や環境問題を論じつつ、より現実的、実践的な問題との関わりを深めておいでであった。

内山節氏は群馬県の山村である上野村にひとつの生活拠点を置き、その視点からそこに暮らす人々の生活や、歴史を眺める。


さて、内山節氏の近代共同体に関する歴史考察であるが、そのはじまりを一揆などが頻発した江戸に置いている。為政者にとって、共同体はやっかいな存在であった、と看做しているところが面白い。自然発生的な存在としての共同体は自らの生活を守るために主張すべきを主張するという意識が高かったのは事実だろう。江戸時代にはつまり個人主義的な考えから共同体が存在していた。為政者は個人主義的な考えを捨てさせるために儒教を利用したというのが内山節氏の視方。歴史学者の山本博文氏は『鎖国と海禁の時代』校倉書房, 1995年6月という本の中で、徳川の治世は武威ではなく「徳」による治世を追求した、と著している。儒学は治世者には都合のよい学問だった。明治維新直後に福沢諭吉が儒学を攻撃し、個人の考えを強く持つよう促したのであるが、明治政府は天皇の神格化による新たな宗教を生み出してしまったのは歴史の皮肉である。

明治以降に作られた共同体は個人主義に基づくものではなかった。戦時体制のもと、為政者の利益を最大にすべく共同体は利用された。この装置はよほど強力であったのか、その後、敗戦を経て部分的に復活するに見えたが、地域的な共同体はここでじょじょに崩壊に向かった。高度経済成長期の日本は「会社」という単位の共同体に組みかえられつつ存続をつづけたのであるが、それもバブルの絶頂の1989年を境に、つながりは急激に弱体化しつつある。

そのむかし、社会学ではゲマインシャフトとゲゼルシャフトという言葉で共同体を定義し、地域的な結びつきは次第に廃れ、機能的な集団に移り変わると分析(予測?)していた。だが、その先の社会のあり方のヴィジョンを社会学は提供できずにいる。

江戸時代にお上の都合により儒教中心の共同体に強制的に変更されてしまって以降、個人主義を主体とする本来の意味での共同体は生まれてこなかったというのが実情である。


経済的な崩壊や、震災などを経て、新たな共同体のあり方を模索しつつあるというのが2012年の日本の今の状況である。その中で、今後の共同体のありかたとしてひとつのヒントになりそうなのが本書第7講で論じられている「風土論」である。三澤勝衛という方をこの書で初めて知った。地域と歴史の力に信頼を置く思想は桑子敏雄氏の視方にも通じるものがあると思われる。近いうち三澤勝衛氏の著作をよんでみよう。



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Kiankou書評 ご参考リンク

桑子 敏雄『風景のなかの環境哲学』東京大学出版, 2005年11月
内山 節『内山節のローカリズム原論 新しい共同体をデザインする』農山漁村文化協会, 2012年3月

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プリンセス願望には危険がいっぱい

プリンセス願望には危険がいっぱい』ペギー・オレンスタイン, 日向 やよい(訳), 東洋経済新報社, 2012年11月


原題: "Cinderella ate my daughter", Peggy Orenstein


王子様を期待するプリンセス願望。男の子の目や、同性との競争意識や、ことさらに煽り立てる商業主義もあいまって、小さな女性たちは非常に強力な思想刷り込み装置に晒されているのが現状である。

ペギー・オレンスタイン氏はそういった社会現象に対する批判的な記事を二ユーヨークタイムズ紙などに投稿するジャーナリストであったのだが、自分の産んだ女の子に対してはなす術もなく、自分の子供が強く求めるプリンセス願望には翻弄されてしまったようだ。

うーん、そんなものなのだろうか。世の東西を問わず、世間一般の多くは、やはり、そんなものなのだろう。


我が家にも1人の娘がいる。この娘は至らぬところが多々あるが、幸いなことに、この「プリンセス願望」に至らしめないように成功したと私は思っている。

一番の元凶はテレビだ。当方では小学校にあがるまではテレビは一切見せなかった。親も同様に全く見ない。その代わりに、絵本を大量に与えた。多い日には1日数十冊単位で絵本や物語を毎日図書館から借りてきては読ませていた。テレビと違って空想を膨らませる読書体験があったからこそ空疎な「プリンセス願望」に陥らなかったのだと私は考えている。ひとたびこの読書の習慣が確立して、豊かな心がしっかりと作り上げられていれば、友達の誘惑を受けても、そう易々とは「プリンセス願望」に陥ることはない。

読書体験以外にも、この「プリンセス願望」を排除する方法はいくつもある。スポーツでも芸術でもいい。何か打ち込めるものがあればいいのだ。

たしかに、ディズニーを始めとする商業主義に基づいた社会の装置は非常に強力である。これに打克つには断固とした心構えが親には要求される。


ペギー・オレンスタイン氏はアメリカの事情について本書で紹介しているのだが、日本はディズニーに加えて、AKB48やアニメの萌えキャラクターといった、さらに強力に「プリンセス願望」発生装置が存在する。ロリや萌えのおたく文化はどこまでが裏の文化で、どこからが表の文化なのか曖昧になってしまった。日本人全体でこの曖昧さを愉しんでいる節もある。ウーマン・リブによる批判の先鋒は、女性の「性」を商品化するものとして時折それらに対して批判を発するが、真剣に聴く人は少ない。

ただ、「プリンセス願望」を絶対視するような考え方に陥る少女が一定数存在する。これは、やはり問題である。心の貧困さの裏返しだ。結局のところ「プリンセス願望」に打ち克つには豊かな心を育む環境が必要ということになる。



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Kiankou書評 ご参考リンク

デボラ・L・ロード『キレイならいいのか ビューティ・バイアス』亜紀書房, 2012年3月
ペギー・オレンスタイン『プリンセス願望には危険がいっぱい』東洋経済新報社, 2012年11月

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「文化力」の時代

「文化力」の時代 21世紀のアジアと日本』青木 保, 岩波書店, 2011年12月


今日(こんにち)の日本は問題が山積しているのであるが、日本が国際社会の中で自らの立ち位置を定義できないでいることは、長期的な視野に立って見た時の一番の問題である。日本がこの先どのような国づくりを目指すべきか、その目的と方向性が国民に共有されなければならないのに、明治維新からバブルの絶頂期まで続いた国家総動員体制に替わる新しいヘゲモニーをいまだ見出せずにいる。国内の経済や社会の諸問題、あるいは自然災害や・環境問題といったものも非常に重要な要素ではあるが、それらさえも日本の長期的なゴールや目標を見出すことに比べてみれば瑣末な問題にすら思えてくる。若者の「自分探し」は長らく話題となっているが、日本国という「自分探し」こそ、最優先で取り組まなければならない課題である。

民主党による政権交代により政権を取った鳩山内閣が掲げた「東アジア共同体」構想は、積極的に構想されたというよりも、日米関係を機軸とするそれまでの体制へのアンチテーゼとして発案されたものであった。もとより東アジアとはどのようなまとまりであるか、あるいはまとまりは存在しないのか、深い洞察に欠いていた。鳩山政権のブレーンのひとりだった寺島実郎氏はこの「東アジア共同体」構想の発案の下となったアイデアを提供した人物と目される。『世界を知る力』PHP新書,2009年12月という本にて寺島実郎氏は地政学的な視点を強調しているのであるが、やや皮相的な分析であった。


青木保氏のこの『「文化力」の時代』は、もとより政治的な意図から執筆が着想されたものではない。だが、政治的な意図がどのようなものであるにせよ、「共同体」として機能するからには、文化的な共通項がなければならないとの基本スタンスを本書の第1章で青木保氏が明らかにしている。

アジアに共通性を見出す切り口を青木保氏は様々に分析する。漢字・儒教・仏教はよく知られている。イスラム教は中東地区のものと思われがちだが、世界最大のイスラム教徒がアジアに存在する。20世紀初頭に日本を訪問したイスラム教徒のイブラヒムは、日本人の家族を重んじ、勤勉・敬虔で集団を重んじる態度などを見て、イスラム教のひとつの理想形態であると論じたと青木保氏が紹介している。意外な文化的な共通点があるものである。

本書で私が一番注目したのは『文明論之概略』及び『東洋の理想』を論じた第6章である。中国・インドなどを「未開国」として福澤諭吉は定義したのであるが、これは西欧の視方をそのまま輸入したものであった。西洋中心主義に批判を加えなかった福澤諭吉は残念ながら批判を免れない。井上勝生氏や加藤陽子氏ら日本近代史研究家らも、福澤諭吉のこの「アジア蔑視感」が日本の社会に与えた影響を指摘している。『文明論之概略』を通読してみて分ったことだが、福澤諭吉の一番の危機意識は、「日本がこのままでは西欧諸国に潰されてしまう」とのおもいである。インドや中国とは一線を画すために、危機感を日本人は自分の問題として真剣にとらえよ、と心構えを論じている→『現代語訳 文明論之概略』福沢 諭吉, 伊藤 正雄(訳), 慶応義塾大学出版会, 2010年9月)。福澤諭吉は、西欧人の立場に自らを同化していたのであった。仏教や儒教・漢学に対する福澤諭吉の批判的な見方が彼をそうさせたのであろうか。日本のその後の方向性を決めたきわめて重要な分岐点である。

岡倉天心の「アジアは一つ」が結果的に一人歩きした経緯を青木保氏は論じる。岡倉天心はインドなどアジア諸国への造詣が深かった。しかし相互の文化的な交流までは考慮していなかった。日本はインドや中国から常に一方的な情報の受け取り手であった。おもえば、12世紀に生きた親鸞は『教行信証』でインドの物語を引用しつつ、深い思索に沈んでいったのであるが、親鸞もインドへ自分の思索の影響を及ぼそうなどとは考えもしなかったであろう。お経も四書五経も中国経由で有難く情報を一方的に受け取るばかりであった。文化の「受け手」として日本は優れていたのであるが、そこに相互の交流が意識されていなかったと青木保氏が批判している。岡倉天心の『東洋の理想』については近いうち、よんでみることにしよう。



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Kiankou書評 ご参考リンク

岡倉 天心『東洋の理想』講談社学術文庫, 1986年2月
福沢 諭吉, 伊藤 正雄(訳)『現代語訳 文明論之概略』慶応義塾大学出版会, 2010年9月
青木 保『「文化力」の時代 21世紀のアジアと日本』岩波書店, 2011年12月

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「独裁」入門

「独裁」入門』香山 リカ, 集英社新書, 2012年10月


一冊まるごと橋下大阪市長への批判と読めなくも無いが、閉塞感の漂う日本人が陥りつつある今日のヒーロー願望を病理分析して奥行きを持たせている。

橋下大阪市長に香山リカ氏が「今後の方針」を尋ねたのは市民ないしは市民を代弁するものとしての当然の権利である。政治家は自らの行動に常に説明責任を負う。それに全く答えず、「代案を出せ」と迫るのは小学生的な幼稚な防衛反応だ。

ツイッターは短いメッセージで相手を攻撃する非常に強力な武器となりうる。140文字以内という文字制限がある中では、ツイートを読んだ人はその背景を深く探ることもなく、眼の前にツイートされた一見分りやすいメッセージに飛びつき、反応してしまう。ツイッターを読む人には、それが事実かどうかはあまり重要ではない。ウソでもいいのだ。お祭り的な脊髄反射を自分で愉しんでいる。

香山リカ氏は橋下氏による中傷ツイートにより被害を被っているが、私も以前似た経験がある。ポピュリズムを意識する扇動者はツイッターやテレビ出演を好む。最初のメッセージの意図を全く無視して部分的な引用をするのは、ポピュリズムの特徴を扇動者がおおいに意識しているからである。自分の頭で考えない民衆は、分り易いメッセージを待っている。そこにバシン!とパンチの効いた短いメッセージを打ちこむ。ウソでもよい。あとから本当のことが判ったとしても、誰も気にする人はいないのだ。そもそも民衆は深く考えていないのだから。

ヒトラーが敵を作りガス室に送り込んで排除して回ったのも、それによって自分のポピュリズムが高まることを意識していたからだ。



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Kiankou書評 香山 リカ氏の著作

『母親はなぜ生きづらいか』講談社現代新書, 2010年3月
『しがみつかない死に方 孤独死時代を豊かに生きるヒント』角川oneテーマ21, 2010年4月
『「独裁」入門』集英社新書, 2012年10月

テーマ : 新書・文庫レビュー
ジャンル : 本・雑誌

おいしい話に、のってみた

おいしい話に、のってみた “問題商法" 潜入ルポ』多田 文明, 扶桑社, 2012年9月


何もわざわざ危険を承知で近づかなくてもいいものだが、人の本性として、どんな仕組みになっているか知りたいとの知的好奇心がある。本書は問題商法に詳しい多田文明氏が体を張って敢えて潜入を試みたルポタージュ。

日本人は自分自身では特定の宗教を信仰していないと思っている人が多い。だが、占いやお守り・霊・運勢・風水といったものを信じる人は非常に多い。宗教と自覚しなくても、路傍に道祖神があれば思わず手を合わせるし、大木をみれば精が宿ると考えるし、食事の前には手を合わせて戴きますという。池上彰氏はこれを日本人の隠された宗教心による精神活動と喝破している(→『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』文春新書, 2011)。八百万の神が日本人の生活には自然な形で溶け込んでいる。日本は隠れた宗教大国なのだ。超自然現象の存在を許容する日本人の心が、霊感商法などを仕掛ける詐欺師に付け入る隙を与えている。

人を騙す手口は巧妙である。高額な商品を先に勧めておいて、その後に実際に販売したい金額を提示する。これは行動ファイナンス理論でいうところのアンカリングと言われている手法だ。詐欺師たちは最新のマーケティング理論や心理学を会得している。

これに対抗するためには、こちらも情報武装するに限る。たとえばマーケティング手法については『影響力の武器』N.J.ゴールドスタイン,S.J.マーティン,R.B.チャルディーニ,安藤 清志(訳),高橋 紹子(訳),誠信書房,2009年6月が良書だ。人を騙すのも、合法的にマーケティング手法を用いるのも、手段は同じというところがミソである。

この本に紹介されている中で、私もひっかかってしまったものが一つある。それは、「名刺交換」という手法だ。相手はいきなり会社に現れて、挨拶とばかりに名刺交換をこちらに強要する。一度こちらの名刺を渡してしまったら、それが最後。不動産投資の電話がしつこくかかってくる。もちろん発信元非通知で。それも、半年とか1年といった期間を置いているものだから、こちらとしては以前に自分が対応したことなど忘れている。不動産投資詐欺に引っかかることは無いが、迷惑電話にはほとほと困っている。名刺交換が狙われやすい場所としては、会社のオフィスのほか、展示会が多い。展示会は多数の人と名刺交換をするのが普通なので、こういった悪意のある業者が紛れていても防ぎきれない。

今一番危険なのはスマホだ。スマホの住所録からの情報の流失が止まらない。無料だからとアプリをインストールすると、勝手に情報が盗まれる。これはウィルス防止ソフトでも今の技術では防げない。自分の情報だけならまだしも、住所録のデータが相手に渡ってしまうと、相手先に迷惑がかかる。だから、私は怪しいソフトは出来る限りインストールしない。スマホの住所録の情報も、不便ではあるけれど、最小限を残して削除した。住所録の情報は他人には取得できないようにスマホの仕様を変更すべきだ。

ネット上には「情報商材」と呼ばれるものがごろごろと転がっている。商売に成功するノウハウを「期間限定で」「格安に」「あなただけに」ご伝授しましょうと甘い言葉で誘惑してくる。詐欺とも言い切れないものが中には紛れているだけに、やっかいだ。君子危うきには近寄らす、とはいうが、手口を知らずして善悪の区別は付けられない。皆が皆『鬼平犯科帳』に登場する長谷川平蔵と同じ叡智を備えていれば良いのだが、そうもいかない。

かくして、イタチごっこが延々とつづく。


テーマ : 読んだ本。
ジャンル : 本・雑誌

事故がなくならない理由

事故がなくならない理由 安全対策の落とし穴』芳賀 繁, PHP新書, 2012年10月


軽い気持ちで読み始めたのだが、本書は思いのほか事故に関する深い知見が詰まっている。一番のポイントは、安全対策を取ると、それによって人びとの行動に変化が生じるとの「リスク・ホメオスタシス理論」である。この理論は本書を読んで是非理解しておきたい。

安全性が増すと、人びとは安心してしまう。そして、それが油断を生む。水災害・地震など自然災害大国の日本ではこの例に事欠かない。本書でも指摘されているのだが、2010年2月28日に発生したチリ沖地震では、避難勧告が出されているにも関わらず大半の人は避難しなかった。津波被害を研究する河田惠昭氏はこれに危機感を持ち、2010年12月に『津波災害――減災社会を築く』河田 惠昭,岩波新書を出版したのだが、その数ヶ月後に発生したあの東日本大震災の津波にはこの教訓を十分生かすことはできなかった。警報システムなど工学的なシステムを完璧に近い形に作動させたとしても、それを受け入れる人間の心理学的な知見に踏み込んだ対策抜きには実のある成果は得られないと河田惠昭氏も指摘していた。

よそ見をしながら車を運転して、あわやぶつかる寸前。これを避けるためのセンサーが作動して、衝突が避けられた――テレビではこのようなCMが流れている。万一、センサーが作動しないで事故が発生してしまい訴訟となったら、この自動車メーカーはどうするのか、との芳賀 繁氏の批判は当然である。このCMを見て、よそ見運転を推奨していると皮肉に捉える人は少ないだろうが、リスク・ホメオスタシス理論を踏まえ、リスク・テイキングな行動には出ない様に促すもうひとつ別の工夫が必要だ。


警戒宣言の出し方については各自治体は今回の東日本大震災で多くの事を学んだ。防災無線から流れるスピーカーの音は建物に反響してしまい、何を言っているかよく聞こえない。多くの自治体がメールによる警報システムを導入した。

私の暮らしている自治体のメールの警報システムについての印象だが、不要な情報がかなり多い。情報を厳選して信頼性を高めてもらわないと、万一の際に見落とす恐れがある。人の心理、機微を動かすノウハウの蓄積を進める必要がある。


食の安全に関して、日本人の過度な安全神話が「レバ刺し」を禁止に追い込んだと岩田健太郎氏が『「リスク」の食べ方 食の安全・安心を考える』ちくま新書, 2012年10月という本の中で指摘している。「レバ刺し」についてはそもそも死者は一人も発生していない。厚生労働省のこの行動は安全は政府が守るのだという古い父権主義に基づくものだ。安全は政府が提供するものであり、庶民は安心していれば良いというのは、原発事故で崩壊したヘゲモニーではなかったのか。

安心が油断を生む。事故を生む。

完璧な状態であるよりも、少しくらい調子が悪い方が気を抜かないので、結果として事故を未然に防ぐことができるものだ。マラソンランナーも、少々風邪気味くらいなほうが自重するので、後半の追い上げに力を貯めておくことができる。食べ物も原発も安全だと言われるよりも、ちょっとくらい危険だと言ってくれたほうが警戒する。結果的に危険を回避できる。

運転スキルはあった方が良いが、それよりも重要なのは「マネジメント能力」。運転スキルもマネジメント能力もある人が事故を起さないかといったら、そうではない。そういう人がたまに起こす事故は重大事故になるとの本書の指摘がなかなか奥が深い。車の運転は怖い。できるなら使わずに済ませたい。


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インド人には、ご用心!

インド人には、ご用心! 日本人の美徳は非常識かも』モハンティ三智江, 三五館, 2012年9月


インド人を夫に持つインド在住の主婦がインド人の生活や気質について語っている。インドのお国柄や、日本人の気質との違いが本書をよむと良く分る。これからはインドとの付き合いが増えてくる。インドとうまく付き合っていく方法を今から研究しておきたいと思い読んでみた。

私にとって身近なインドといえば西葛西である。私は時折西葛西のスポーツセンターを利用しているが、若いインド人の夫婦が子供連れで施設を利用したりする折によく出くわす。私の住む市川市でも頻繁に見かける。市川市の行徳地区は何気に本格的なインド料理店が多い。

ただ、日本に来ているこれらの方々を見ていても、インド本国の様子は全く想像がつかない。

先日読んだ歩りえこさんの『ブラを捨て旅に出よう 貧乏乙女の“世界一周”旅行記 』(2012)では、歩りえこさんがインドの超満員の3等列車にひとりで乗り込むというものすごいシーンがあった。インド在住のモハンティ三智江さんをもってしても、列車のトイレは不潔の許容範囲を超えているらしい。

清潔・安全・正確・誠実といった美徳を持つ日本人は海千山千のインド人には格好のカモと映るようだ。お人よしの日本人はインドに限らずどこの国に行ってもカモられる運命にある。とて、今から鎖国をやり直す訳にもいかない。過酷な風土の中で生き抜いて来たインド人のタフさには敵わない。彼等の力強くしたたかな生き方には敬意を表したい。

インドといえば差別的な身分制度で有名だが、これに関して、日本人は下手に批判しない方が良いとのモハンティ三智江さんのアドバイスは現実的だ。頭ごなしに他国の制度・風習を批判する西欧式の態度は非生産的だ。

先日みたNHKの「さかのぼり日本史」によると、豊臣秀吉はインドの征服を構想していたという話だ。豊臣秀吉の死去によりその夢は途絶えた。インドに恨まれずに済んで、良かった。ボースやパール判事は日本との良い関係の構築に寄与した。これまでインドと悪い関係にならなかったというのが、控えめながら、日本の大きな長所である。

インドで事業を興してこれまで健闘している日本企業の代表がマルチ・スズキだ。現場主義に徹した不屈の根性がなければインドで事業を続けることはできない。状況は厳しいようだが、動向には注目している。

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大災害と法

大災害と法』津久井 進, 岩波新書, 2012年7月


日本はことのほか激しい自然災害に見舞われる国である。地震・台風・津波などに翻弄されつつも、少しずつ自然災害への対応をすすめてきた対策が、法律という形に結実させてきた。本書では江戸時代以降の主要な災害とその後の対策を概観しつつ、ことに阪神・淡路大震災から東日本大震災にかけて災害に対する対応がどのようなものであったかを見ていく。阪神・淡路の反省が後の災害で活かされたものがある反面、活かされなかったものもある。

課題は多数ある。主な課題をまとめてみると、ハードウェア的な対策に比して人のケアといったソフトウェア的な対策が後手に回ること、前例主義を取る役所の機動性に欠く運用が実効性を失わせている点が特に重点的に取り組まれないといけないだろう。

東日本大震災では情報の伝達が特に問題となった。現在の災害救助法では情報を下から上へと吸い上げる仕組みとなっている。広域災害で、市町村自体が被災した折にはこれが機能しなくなった。吸い上げられた情報を末端までスムーズ降ろしてくる手段まで考慮されていなかった。あるいは、法律上はきちんと整備されていても、運用されていなかった。

なにごとも、「仏作って魂入れず」を厳に戒めないといけない。

震災の際国民に一番近い存在となる地方公共団体の職員のみに「臨機応変」「柔軟性」を望むのは酷というものだ。日頃から災害救助法の意図を十分浸透させ、運用のトレーニングを積むことが必要だ。

被災して最も頼りになるのは現金だ。大震災が発生した折には余計な詮議をせずにポンと1人に100万円とりあえず支給できるような機動的な運用を考慮すべきだ。これまでハードウェアに依存してきた対策を転換して、支給は単純明快に現金支給とし、人のこころの復興に手を尽くすといった文言を災害復旧基本法に盛り込むべきだ。津久井進氏の意見には概ね私は賛成する。現物支給にお役所がこだわるのは、国民を信用していないのと、自分の官僚組織の利権拡大を狙っているからであろうか。

先日読んだ『民法改正 契約のルールが百年ぶりに変わる』内田 貴, ちくま新書, 2011年10月によると、民法の契約法の規定については、大震災を想定した形に変更すべきだとの意見が出されていると書いてあった。現在の規定では震災が起こった場合の債務者の責務が重すぎる。阪神・淡路大震災にて有名になった二重ローンの問題も、債務者にあまりにも一方的に不利な原則が適用されるからであった。大震災がこれだけ多い国においては、世界の手本となるようなクリエイティブなルールが考案されても良い。

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ハーフが美人なんて妄想ですから! !

ハーフが美人なんて妄想ですから! ! 困った「純ジャパ」との闘いの日々』サンドラ・ヘフェリン, 中公新書ラクレ, 2012年6月


ハーフときくと、なんとなくいいところのお嬢さんをイメージしてしまう。これが日本で生まれ育ったハーフの方にとってはいい迷惑なのだそうだ。美人でバイリンガルなテレビタレントとして活躍するハーフがいるのも事実だけれど、それはほんの一握り。日本で暮らしている以上、才能と機会に恵まれなければ英語が喋れないのは当たり前。それを「純ジャバ」にいちいち説明するのが面倒くさい。そりゃ、そうだ。日本生まれのハーフならではの、困った「純ジャバ」の勘違いの数々を面白おかしく本書にいろいろ取りまとめている。

日本人は他人のプライバシーを尊重せず、不躾なところがある。これは島国日本の風土が生んだ田舎者根性だ。黒船が来たとき以来、異国人が通れば人だかりが出来、衣服に触り、異国語を喋っているところを観るのを面白がった。日本人の汲めども尽きぬ好奇心のなせる業といえないでもない。

異国の地からやってくる人に対して尊敬の念を抱いているのもまた事実である。漠然とした異国人崇拝主義。遠方から来る来客をもてなす気持ちが根底にあるのもまた事実である。

日本人は他の国とは違った「特殊な国」という自負を持っている人が多い。このような日本人は、日本で生活している異国人にはどうしても「大変ですねえ」と声を掛けてみたくなるのだ。こんな特殊な日本という国で生活するのは、それは、大変でしょう、と言ってみたいのだ。日本に暮らすハーフの方にとっては、まったくの迷惑でしかない。

この本に触れられていることの多くはプライバシーに関わること。プライバシーの意識が低い日本人は相手の気持ちを察せず、ずけずけと土足で個人の領域に踏み込んでくる。これは普通の日本人でも感じていること。ハーフの方にとってはこの問題が先鋭化する。単なるマナーの問題を超えて、ハーフの方にとっては深刻な人権侵害にもなりかねないものもある。

先日私が読んだ本によると、日本人の国際結婚の数は近年ほぼ横ばいながら、日本人女性とアジア人男性の組み合わせによる海外居住者の数のみが唯一増加傾向にある→『絶食系男子となでしこ姫 国際結婚の現在・過去・未来』山田 昌弘, 関内 文乃, 東洋経済新報社, 2012年7月。今後はアジア系のハーフが増えるのかもしれない。居住地は当面香港など海外であろうが、日本へも将来は来る可能性もある。

本書に少々触れられているが、ハーフに限らないがいじめの問題は非常に根深いものがある。もしお子さんが学校でいじめに遭っていることが分ったら、転向させるなり、退学させるなり対処することに躊躇すべきではない。親と子の信頼関係を維持することのほうがずっと大切だ。学校が自分の子供を護ってくれないなかで、親が子供を全面的に信用しないで子供は誰に頼ればよいというのだろう。

願わくばハーフの方は自分の出自を長所にみなし、勘違い甚だしい「純ジャバ」を軽くあしらって、飄々と生活を楽しんでいただきたい。

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現代語訳 文明論之概略

現代語訳 文明論之概略』福沢 諭吉, 伊藤 正雄(訳), 慶応義塾大学出版会, 2010年9月


『文明論之概略』の初出は1875年8月。本書は『口訳評注 文明論之概略』(1972)として伊藤正雄氏が出版したものを再編集して復刊したもの。『文明論之概略』を現代語で読むには本テキストが最適である。

『文明論之概略』は岩波文庫に収録されているが、これを読み通すには現代の読者にはハードルが高い。ネット上にも『文明論之概略』を公開したものがいくつかあるので、ためしに第一章の最初の部分を読んでみることをお勧めする。

文明論之概略

『文明論之概略』(1875)は『学問のすすめ』(1872-1876)と並んで福沢諭吉の最も重要な著作である。『学問のすすめ』は初学者から社会の中間を担う層にかけて書かれた散文的な性格のもので、首尾一貫した主張を著したものではない。『文明論之概略』は最初から一貫して意図された構成のもとに書かれた。

福澤諭吉を読むなら『福翁自伝』『学問のすすめ』『文明論之概略』の3冊である。『福翁自伝』はいつ読んでも良いが、あとの2冊は『学問のすすめ』『文明論之概略』の順に読んだほうが良い。『文明論之概略』は少々難解な部分があるが、その幾つかの論が『学問のすすめ』ですでに触れられている。この3冊が現代語で読む事ができる喜びを先学の諸子に感謝する。

この伊藤正雄訳による『文明論之概略』には、単なる語句解釈を超えた福沢諭吉の思想についての分析や、福沢諭吉のその後の著作で考えが変わっていった推移にまで立ち入って丁寧に注釈をつけており、読み応えがある。ちなみに丸山 真男氏が『文明論之概略を読む』を書き、さらにその反論として、西部邁氏が『福沢諭吉 その武士道と愛国心』を書いたということはネットを調べて了承済み。まずは直接『文明論之概略』を読んで、自分なりの意見を持つことからはじめたい。


本書は緒言と10章に分かれる。

第一章 議論の本位を定る事
第一章はその後の議論をすすめにあたっての準備。「軽重長短善悪是非」はすべて相対的なものであると看破し極論を排する。自分の論と相容れない相手の論に対しても「両眼を開いて長所と短所の両方を見よ」という非常にプラグマティックなスタンスを取る。相手との交際を活発にし、自らの議論を表明することをすすめているのは『学問のすすめ』の論にもあい通じる。

第二章 西洋の文明を目的とすること
文明を最上の段階・半開・野蛮の3つに分け、日本を半開国と看做す。すべて相対的であり、欧州等についても現代進行形ととらえる。西洋については「外交の法などに至っては、ペテンと駆け引きの連続以外の何物でもない」と述べる。この議論は第十章につながる。決して理想化するようなことはないが、遅れている分野については素直に認めて現段階としては西洋の文明を目的とすると定義する。

なお、西洋が到達した文明を目指すに当たっては、「簡単なことは後回しにして、難しいこと(内面的な精神文明)を優先して取りいれよ」と福澤諭吉は言っている。政令・法律、ましては人びとの気風は一朝一夕に変えられないと看破する。教育者として正しい発言である。

日本においては将軍家と皇室が程よいバランスを保ってきたとみる。また、国体論を展開し、他の国の支配を受けていない限りは国体が保たれていると定義する。これも第十章につながる議論である。国体にからんで皇統について触れ、皇統については維持することはそう難しいことではないとする。重要なのは国体を維持することだというのが福澤諭吉の議論である。国体を護ること=外国から占領されないために、知力を結集して古い因習を捨てて西洋の文明を取り入れて国力を高めようと論を進める。明治以降日本がすすめた富国強兵につながる議論である。

皇室については外観を飾る愚を戒める。「英国の王室が栄えているのは、何故かといえば、王室の虚威を減らして、人民の権利を伸長したからだ。それによって、全国の政治が実力を増し、その国力の発展とともに、王室の地位も強化されたためである。」この議論はまことに伸びやかである。この精神が浸透していれば、幕末から明治にかけての「尊王派を語る」狭小な極右派によるテロ行為は無かったのではないだろうか。

「国体が貴いのではなく、その効用が貴いのだ」のちに国体護持が皇統論と結びついて議論されるのを知っている現代からみると、この部分だけを読むと誤解しそうである。ここでは国体とは国家体制の独立という意味だ。このために皇統が利用されてもよいではないかと福澤諭吉は議論している。

第三章 文明の本旨を論ず
「すべて世界中の政府は、ただその国の便利のために設けられたものだ」と福澤諭吉は語る。江戸幕府の体制が崩壊したのは、民衆が古い体制を捨てて、新しい政府を望んだからだとの説を『学問のすすめ』の中でも展開している。「開闢の時より今日に至るまで、世界にて試たる政府の体裁には、立君独裁あり、立君定律あり、貴族合議あり、民庶合議あれども、唯其体裁のみを見て何れを便と為し何れを不便と為す可らず。」これは卓見である。

「君臣の倫は天性にあらず」生まれながらにして身分が決まっていることに対する福澤諭吉の反論。旧来の因習を一掃したいとの福澤諭吉の想いが込められている。

アメリカ合衆国の誕生の経緯については福澤諭吉はやや理想化して理解しているように思われる。アメリカの乱暴さや無作法を批判しつつも、国民全般の心が国政に反映されている仕組みを評価している。

第四章 一国民の智徳を論ず
「一国の文明は、国民一般の智徳の全量」この考え方は非常に先を見通した考え方である。偶然を排し、「統計」的を用いて人の動きを捉えよ、と論じている。統計学や行動科学に繋がる実証的な学問を推奨する。国全体の動きも、2,3の英雄偉人の力が左右するものではなく、社会全体の人民の気力が決める、とみなす。そこで、天下の”衆論”、人民の間の間違いがあればそれを正すことが重要であると考える。政府は外科手術。学者は養生であるとし、福澤諭吉は学者の視点から衆論を正すことを目指すと自らを定義する。

第五章 前論の続き
”衆論”は単純な多数決ではなく、智徳の多少で強弱が決まると書いている。これはJ.S.ミルの論じた修正功利主義の立場である。維新が民衆の知力によって変革されたのだと繰り返し論じる。

西洋の会社制度や学会、寺院の団体組織など利益を同一とするものの集団制度の利点を挙げている。福澤諭吉が論じた当時は、会社組織をつくるようなところは大規模なところに限られていたようである。なお、維新により華族・士族の録が廃止されたのに、自らの権利を主張しないことに福澤諭吉は疑問視する。「日本人が無口の習慣の結果、当然主張すべきところも黙って、事なかれ主義に甘んじ、いうべきこともいわず、問題とすべきことも問題とせぬのみ呆れるばかりである。」日本はあまりにも長い間自己主張をすることを抑制してきたようだ。今日においてもこの日本人の性格が残っている。

第六章 智徳の弁
徳は古より定まっているものであり智は日々変化する。智の教育を実施せよと説く。

第七章 智徳の行われるべき時代と場所を論ず
過去の時代・場所を論じながら智徳がどのように発揮されたかを論ず。道徳による治世と法律による治世を論じ、法律の必要性を説く。

第八章 西洋文明の由来
教会の存在、十字軍、宗教改革。これらの中から人民の自由な精神による発露と読む。17世紀以降のイギリス・フランスにおいても様々な上層の社会の変革の背景に、人民の知力の進歩があったと指摘する。この点が日本との大きな相違である。日本では「階級」や「地域」を代表して変革を求めるという動きが少なかった。

第九章 日本文明の由来
この章は第八章と好対照をなす。権力の偏重があらゆる場所に存在していたと論じる。支配者はたびたび変わるが、誰が天下を取ろうが、下々の生活や国勢は一向に変わらない。
日本の歴史は政権者の交代の歴史であり、誰が上に立とうが、彼等は自分達のことしか考えていない。私が日本史を学生のころに学んでいて非常に退屈に感じていたのも、よく考えてみるとこれが原因であった。木下藤吉郎がどんなに偉かった人か知らないが、日本はそれによりどれだけ前進したのか。戦国の武将の武勇伝は聞く分には面白く、ある人にとってはビジネスの参考や自己啓発になるのかもしれないが、一般の庶民に何の利益があったというのであろうか。歴代の首相の名前を丸暗記するのと同じくらい、味気の無いものである。私は学生時代にこの福沢諭吉の持つような歴史観があることを知っていれば、日本の歴史をもうすこし違った目でみていたことだろう。

戦国武将なんて、結局ものすごく自己中であった。

商工業、市民階級が日本では発達しなかったのは、封建社会の上に立つ人間が変革を恐れて人々の自由を奪う精巧な仕組みを発達させたからである。

江戸時代、四民のなかでも商業を一番下に置いたのは、金の力が権力と結びつくと腐敗が生じることを察していたからだというのが新渡戸稲造の説であったと記憶している。あまりにも精巧で強力な封建制度が人民の変革を希望する力を奪い、現状維持を望む心を形作ったのであろう。学問は現状を変革する力とならなかった。このような環境下では文明・経済が成長しなかったと批判する。この福澤諭吉の歴史観はたいへんな慧眼であった。

第十章 自国の独立を論ず
第九章までで日本が文明が遅れてきた由来を論じて西洋文明を吸収する必要性を説いてきた。第十章では視点を変えて、開国以来の重要事項である自国独立を達成するための要件について論じる。

この第十章は『文明論之概略』の中でも白眉である。今日の日本の外交通じる非常に重要な示唆を与える章である。

江戸の時代の崩壊を促すことになった国学派であるが、皇学派流の国体論には福澤諭吉は疑問を呈す。実際には明治から昭和にかけて皇国史観が大いに喧伝され、ついに敗戦に至るまでは皇統派が優位を占めていたのである。第二章で福澤諭吉の説くように皇統とは少々距離を置き、国民の国力を増すことが皇統を輝かせるといった発想が広く浸透していればと思わざるを得ない。

江戸末期から明治のはじめにかけては、今日からみても、日本は非常に危機的な状況にあった。インドや中国が帝国主義的な列強から不平等な地位を押し付けられているなかで、日本も5箇所の港を開いているなかで、生麦事件など欧米人との摩擦が発生していた。薩英戦争や神戸事件も実際に発生しており、すこし間違えば戦争に発生しかねない状況にあった。福沢諭吉が国家の存続の危機と感じていたのは大げさではない。

福沢諭吉によると、当時5港が開港し、港近辺で貿易を開始したわけであるが、その貿易の実体について詳しく知っていた人間は庶民には少なかったらしい。条約の詳細についても庶民は知らされていなかった。これは、当時の官吏が日本に不利なことを極力知らせないようにしたことに原因があるようだ。いたずらに攘夷を煽ることを避けたかったということもあろうが、人民に知らしむべからず、都合の悪い事は隠してしまえという今日に至る官吏の悪癖が作用したのである。

交換価値に対して無知だったため日本は価値のある金銀など天然資源を流失してしまった。ここで、福澤諭吉は「経済の貧富が、天然資源の多寡に依存せず、実際には専ら国民の知力の多少と、その活力の巧拙とによる」と論じる。これは今でこそ珍しくない議論であるが、当時としては画期的だったはずだ。肥沃なインドが貧しく、天然資源の少ないオランダが豊かな理由。それは「無形・無限の知力・労力」を使っているからだと喝破する。
イギリスが本土の人口が少ないのにかかわらず、文明が栄えている。この本質を金融にあると福澤諭吉は見抜く。イギリス帝国が繁栄したのは、産業革命など商工業産業が発展したからではなく、いちはやく金融業を発達させたからだと秋田茂氏が近著『イギリス帝国の歴史 アジアから考える』秋田 茂, 中公新書, 2012年6月という本の中で論じている。福沢諭吉はここでは高い利子を払って欧米諸国に「濡れれて粟」で儲けさせる実情を観て、憤怒やるせないといった風情である。

外国人の傍若無人な振る舞いを指摘し、注意を喚起する。外国人に対して同権の意識を以って接する人が少ない点も憂慮する。封建制が長く続き、庶民の権利意識といったものが欠如しているためだと福澤諭吉は指摘する。

兵備についてみだりに兵を増やしても、国力全体を向上させないとダメだと論じる。巨艦を買っても借金という敵には勝てぬと論じる。ちなみに日本は日英同盟を根拠に日露戦争の折にイギリスに手伝ってもらい円建ての外債を発行した。

今日の外国との様々な交渉に接して、あるいは、広く商業活動全般をみるにつけ、福澤諭吉の慧眼が輝きを増す。封建時代はとうに去ったとはいえ、日本人の意識はなお旧態依然とした感情が残っている。

本書を通じて福澤諭吉は何度か繰り返しているが、この書は日本が現に直面する国難をどう乗り切るかという視点に立って書かれている。最上の国になる方法を悠長に議論している暇などない。この差し迫った危機感が、本書の目的を濃縮し、読む者に高い目的意識を宿らせる。福澤諭吉が今日生きていたら、自分の書いた内容が大筋でいまだに通用することをみて、半ば喜び、半ば呆れるのではないだろうか。今日この書を読む我々も、同じような危機意識が必要だ。


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Kiankou書評: 福澤諭吉の著作

『現代語訳 学問のすすめ』福澤 諭吉, 齊藤 孝(訳), ちくま新書, 2009年2月
『福翁自伝』福沢 諭吉, 講談社学術文庫, 2010年2月
『現代語訳 文明論之概略』福沢 諭吉, 伊藤 正雄(訳), 慶応義塾大学出版会, 2010年9月


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Kiankou書評 ご参考リンク

島崎 藤村『夜明け前 第一部 上』新潮文庫, 1954年12月
『明治維新 日本の歴史 16 集英社版』中村 哲(著), 集英社, 1992年9月
『明治維新』田中 彰(著), 講談社学術文庫, 2003年2月
渡辺 京二『逝きし世の面影』平凡社ライブラリー, 2005年9月
『開国と幕末変革 日本の歴史18』井上 勝生, 講談社学術文庫, 2009年12月
福沢 諭吉, 伊藤 正雄(訳)『現代語訳 文明論之概略』慶応義塾大学出版会, 2010年9月
犬塚 孝明『海国日本の明治維新 異国船をめぐる100年の攻防』新人物往来社, 2011年6月
加藤 祐三『幕末外交と開国』講談社学術文庫, 2012年9月


『幕末・維新 シリーズ日本近現代史 1』井上 勝生, 岩波新書, 2006年11月
岩波新書編集部『日本の近現代史をどう見るか シリーズ日本近現代史 10』岩波新書, 2010年2月

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絶食系男子となでしこ姫

絶食系男子となでしこ姫 国際結婚の現在・過去・未来』山田 昌弘, 関内 文乃, 東洋経済新報社, 2012年7月


草食系男子という言葉が数年前から流行している。いまや、女性とはまったく接触すらしない「絶食系男子」が増えているのだそうである。終身雇用の崩壊と不況の影響で日本人男性は余裕がない。その一方で、意外なことに、国際結婚がここ数年わずかだが増えている。ただし、増えているのは海外で結婚した外国人男性と日本人女性の組み合わせのみ。詳しくみてみると、相手方男性はアジアの男性が増えているとのことだ。

何が起きているのだろうか。

日本型の男性優先社会に見切りを付けて語学力などを武器にアジアなどにキャリアを求める日本人女性が少しずつ増えている。日本人から見れば彼女らは立派なキャリアウーマンだが、海外の男性の眼からは「なでしこ」と映るらしい。詳しく聞いてみると、日本人女性の典型的な美徳としての男性を立てる「なでしこ」の美徳ではなくて、「空気を読む」繊細さが外国人男性に受けているらしい。要は、日本の価値観が評価されているということだ。日本人男性が絶食系に止まる一方で、アジア男性はグローバルスタンダードの肉食系が多い。それで外国人男性と日本人女性のカップルが成立しているというのが山田 昌弘, 関内 文乃両氏の分析である。

内向き志向が強まるなかで、日本人が海外に眼を向けること自体はいちおう歓迎すべきことだ。だがそのプロセスがどうもやるせない。関内文乃氏の言によると、「男性が女性に恋のリスクを押し付けている( page 156)」とのことである。リスクを取れなくなっている日本人男性には非常に厳しいことば。恋のリスクに加えて、生活のリスクを取れと同時に言われているように男性には聞こえてしまう。

日本人女性は結婚による変身願望が強いと分析したのは山田昌弘氏である。この意識が高く続く限り、日本人男性の草食化ないし絶食化の傾向は反転しないのではないだろうか。女性は結婚による「上昇婚」を内心ではいつも目指している。同姓からのやっかみを避けるため、自分では「上昇婚」なんて全然意識していないつもりになっている。同姓から「上昇婚」と妬まれるリスクの低い最近の国際結婚は、日本人女性には好都合である。

男性が恋と生活のリスクを結びつけて考えることをやめ、女性が変身願望ないしは「上昇婚」指向を低くすることが出来れば、日本はもうすこし過ごし易くなる。


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Kiankou 書評: 山田 昌弘氏の著作

山田 昌弘『パラサイト・シングルの時代』ちくま新書, 1999年10月
山田 昌弘『パラサイト社会のゆくえ』ちくま新書, 2004年10月
山田 昌弘(著/編)『「婚活」現象の社会学 日本の配偶者選択のいま』東洋経済新報社, 2010年6月
山田 昌弘, 関内 文乃『絶食系男子となでしこ姫 国際結婚の現在・過去・未来』東洋経済新報社, 2012年7月

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中国人エリートは日本人をこう見る

中国人エリートは日本人をこう見る』中島 恵, 日経プレミアシリーズ, 2012年5月


自由形式のヒアリングインタビューを通じて中国人の若者エリート層の意識、とくに日本との関わりについて聞き、性向をまとめたものが本書。日本と中国の差異を冷静に見つめ、自己を取り巻く社会の現実を直視しつつ、現実的に対処するしたたかな中国人エリート層の気質の一端をよく捉えている。

靖国問題で元小泉首相は中国から反感を買ったに見えた。その一方で、自分の主張を頑として曲げなかった元小泉首相に中国人が一定の「敬意」を示しているというのも納得できる。首尾一貫とした主張を通す意志の強さや指導力を中国人は評価する。たとえそれが中国人にとって不利であったとしても、その行為には敬意を払う。日本の弱腰外交が目に付くなかで、その行動姿勢を評価する眼が中国人の一部にはある。

中国人が日本のトイレを賞賛する話はよく耳にする。身近で象徴的で、かつ深刻な事柄である。中国は今でこそ確かに遅れている。しかし、一党独裁のかの国は、その気になれば日本など及びもしない程の迅速さで事を進めることができることを我々は知っている。決して侮れない。

中国人が日本を留学先に選ぶ本音が本書に書かれているようで興味深い。理系のエリートにはやはりアメリカが人気がある。だがアメリカに留学する人数は多いので、トップの大学に入らないと意味がない。その点日本は留学先としては2番手だが、将来、希少価値がでると読むのだという。

中国は厳しい学歴社会にある。ところが、ひとたび日本への留学を果たしてしまえば、それまでの経歴がリセットされる。日系の企業はそこまで深く追求しないからだという。

中国人にしてみると、日本は競争の無い、ぬるま湯の中にあるようで楽だという。これは日本の良い面でもあり、一方で、日本の抱える深刻な問題点でもある。

日本はいつの頃からか、競争を捨て、横並び意識の高い社会を作ってしまったのだろうか。個人の競争意識の低い日本人は教養レベルも「並」のところでとどまっっている。先日読んだ竹中平蔵氏と佐藤優氏の対談本『国が亡びるということ 本当のことを語っているのは誰か』(中央公論社, 2012年4月)の中でも、日本人の教養レベルの低下がひどいという話が出ていた。

中国人と日本人の気質の違いが最も現れるのが、企業において人を育てる気質があるかどうかであろう。個人の向上心の強い中国人は、組織として動くことが苦手。一方で組織としての動きは日本の方が上手だろう。もっとも、儒教的な背景の濃い韓国には日本はかなりの部分で追い越されているようにも思われる。


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Kiankou 書評 今の中国を知るための本 ご参考リンク


『文化のオフサイド/ノーサイド』張 競,岩波書店,2004年3月
『中国経済の正体』門倉 貴史,講談社現代新書,2010年4月
『知らないではすまない中国の大問題』サーチナ総合研究所,アスキー新書,2010年8月
『外交官が見た「中国人の対日観」』道上 尚史,文春新書,2010年8月
『「科学技術大国」中国の真実』伊佐 進一,講談社現代新書,2010年10月
『中国を拒否できない日本』関岡 英之,ちくま新書,2011年1月
『現代中国「解体」新書』梁過(編集),講談社現代新書,2011年6月
『習近平時代の中国 一党支配体制は続くのか』佐藤 賢, 日本経済新聞出版社, 2011年7月
『中国社会の見えない掟 潜規制とは何か』加藤 隆則, 講談社現代新書, 2011年9月
『中国模式の衝撃 チャイニーズ・スタンダードを読み解く』近藤 大介, 平凡社新書, 2012年1月
『習近平 共産中国最弱の帝王』矢板 明夫, 文藝春秋, 2012年3月
『中国人エリートは日本人をこう見る』中島 恵, 日経プレミアシリーズ, 2012年5月
『現代中国の政治 「開発独裁」とそのゆくえ』唐 亮, 岩波新書, 2012年6月
『脱・中国論』加藤 嘉一, 日経BP社, 2012年6月
『中国は東アジアをどう変えるか 21世紀の新地域システム』白石 隆, ハウ・カロライン, 中公新書, 2012年7月
『中国はなぜ無茶をするのか 知らないではすまない中国の大問題2』サーチナ, アスキー新書, 2012年8月

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積木くずし 最終章

積木くずし 最終章』穂積 隆信, 駒草出版, 2012年3月


かつて空前にヒットしたテレビ番組「積木くずし」の最終的な後始末。私はお昼のワイドショー的な関心を持っていないので詳しくは知らないが、娘の由香里が『積み木くずし』の本の出版とTV出演ののち、グレてしまったという話は聞いていたように思う。

そもそも、大人しい平和な家庭に育った娘さんが、なぜ突然グレてしまったのか、その理由があのテレビ番組の「積木くずし」を見ただけでは理由が全然伝わって来なかった。突然グレはじめた理由が分らない上に、過激な暴力シーンが強調されたために、子供を持つ親を震撼とさせるには十分なインパクトがあった。

由香里がグレてしまったのには、深い事情があった。彼女を絶望から救えなかったのは複雑な事情が絡む。親は真の意味で保護者であるべきだが、親が信頼できない事情が発生したときに、子供と同じ視線から、親身になって、手を差し伸べる仕組みが社会に備わっていなければならないと痛感する。最近でこそ「子供のための人権110番」といったパンフレットを子供に渡すといった活動が開始されているものの、誰にも相談できない本当に困った悩みを抱える子供に、きちんと救いの手は届いているだろうか。

「積木くずし」のドラマの中では警視庁の竹江さんという方の「指導」で由香里に両親が毅然と対応するということだった。実際にもその通りだったようだが、そもそもこれは由香里の表面的な非行行動のみに着目した対処方法であった。元になっている原因に眼を向けたものではなかった。普通は、多少の問題が燻っていても、少年や少女が成長していく過程で問題はそれ以上表面化しないものだが、悪い条件が重なると、非常にやっかいな状態に陥る。

非行少年・少女を保護・観察・指導するというのは、非常に難しい。複雑な背景を理解した上で対処する必要があると痛感する。この『積木くずし 最終章』は、そういった立場にある人が今一度読み直し、複雑な事情をケーススタディーして今後のために役立てて欲しい。「お昼のワイドショー」や「女性自身」的な下世話な興味からではなく、児童保護という観点からこの本をまず読んで欲しいと願う。

本人も後悔しているが、おもえば、穂積隆信氏は「積木くずし」のような本を出版すべきでは無かった。自分の家庭を売り物にしようなどと、どうして考えたのだろうか。厳しいようだが、表面的にしか理解できていない穂積隆信氏にやはり問題の一端があったと言わざるを得ない。娘との信頼関係を結ぶことが第一。日頃のコミュニケーション不足が原因である。一方的な思い込みも激しい。妻の美千子を娶ってしまったのは、これは、不幸としかいいようがない。穂積隆信氏には美千子を不幸の底から引き出すことが出来なかった。

妻の美千子は不幸の星の元に生まれた。ヤクザの男に絡まれるのはこれは残念ながらこの方の性分だったのだろう。そんな不安定な状態では、まともに育児ができる状況になかった。いくつかの不幸が重なった。故人の悪口を聞くようで後味は悪いが、『積木くずし』を見ただけで分らなかった疑問がかなり瓦解したのも事実である。

美千子が由香里に宛てて書いた手紙の最後の行にかかれた「あなた」の文字。これは由香里が赦すなら、父の隆信に見せても良いという美千子のメッセージではなかったか。

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空き家急増の真実

空き家急増の真実 放置・倒壊・限界マンション化を防げ』米山 秀隆, 日本経済新聞出版社, 2012年6月


日本各地で空き家が増えている。本書は空き家が増えている現状を統計を用いて説明するとともに、いくつかの類型パターンに分けて、実態把握に努めている。その上で、緊急性の高い都市型の空き家対策について人口減少社会に向けての政策転換を提言している。

ひとくちに空き家といっても、都市なのか郊外なのか、それとも過疎地域にあるのかによってもその空き家となっている理由が異なる。持ち家・賃貸・分譲の違いによっても空き家としている理由が異なる。この本では出来る限りそれらを類型化して実態を捉えようとの工夫が見られる。

賃貸用住宅の空き家が顕著に増えている。これは、第5章で説明されているように、節税対策として建てられたものの効果が大きいと見られる。「そもそも市場で賃貸住宅が充足されているかどうかは二の次だったのである」(page 205)。日本の住宅政策は、新築一戸建ての建設を中心に優遇税制などの施策が中心だったが、景気の変動と、人口動態の推移とともに、実態にそぐわなくなりつつある。

課題の多い空き家対策
郊外や過疎地区の空き家については今後ますます空き家率が高まると本書では警告している。人口減少が避けられない中で、2050年には無居住化が2割に達するとのことである(第3章)。

各自治体では様々な空き家対策に乗り出している。老朽化し、放置された家の撤去費用を誰が負担するのかといった難しい問題がこれから深刻化してくるに違いない。

そんな中で、利便性が高く、人口集積率が高い地区は比較的対策が取り易い。中古市場や、建替え、リフォームなどの施策の転換へと政策の重点をシフトすべきである。


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20121015
本読みの記録さま
TBありがとうございます。質の良い賃貸物件を優遇せよとの本読みの記録さまのご意見、私も同感です。
新築から中古への転換:空き家急増の真実―放置・倒壊・限界マンション化を防げ:本読みの記録:So-netブログ


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社会脳SQの作り方

社会脳SQの作り方 IQでもEQでもない成功する人の秘密』永江 誠司,講談社プラスアルファ新書, 2012年4月


発達心理学・児童精神医学の研究成果を踏まえ、社会脳と呼ばれる「心」が脳のどの部位に関係しているかを紹介しつつ、社会脳を正しく発達させるための指針を示す。

人間は社会的な動物である。個人が一人でできることには限りがある。それで、相手の気持ちを汲み取るための情動理解力や表現力が重要になる。また、相手を正しい方向に説得させる論理・行動力も問われる時代となっている。

社会脳の所在として本書49ページ以下脳内のいくつかの部位を指摘している。この分類分けが本書を通じて非常に重要な意味を持つ。「他者の考えや気持ちを察する心」や「共感や事の善悪を判断する道徳性」などが、特定の脳の部位と結びついている。つまり、心は脳の特定箇所の発達と不可分であるということである。

本書では発達心理学の立場から、いくつかの興味深い事例が紹介されている。「人格形成のためには「ワーキングメモリ」の機能を高めることが重要である。」「感情的になっているときには言語処理を行うことで偏桃体の活動が低く抑えられる。」などなど。

不公平な分配が許されないのが前頭前野の腹内側部と島皮質のバランスが崩れているからだとの知見は非常に興味深い。不公平を口にし、感情的になる大人気ない日本人が最近富みに目立つように思われるのは、この2つのバランスが崩れているからではないだろうか。

過去の経験からいやな予感を持つ「ソマティック・マーカー仮説」は、進化心理学と結びついている。行動経済学は、ギャンブラーが自分の間違った意見に意固地に従う論理を「ギャンブラーの誤謬」として説明しているが、これも前頭前野の腹内側部の発達障害として説明できる。

本書は以上のように、従来心の問題として扱われているものが、脳の特定部位との関わりの中で論じられることで、問題の原因を狭め、解決のための指針を立てやすくする利点があると思われる。

キレない脳
キレない脳を作るための方策はというと、非常に常識的な線に落ち着く。幼少時からの母子コンタクト、コミュニケーションが大切だということになる(第7章)。

なお、コールバーグ氏の「道徳性の研究」の話が非常に興味を引く。道徳性を高めるには、道徳的なジレンマに身を置き、葛藤する経験を積むことが必要だとのことなのである。ここで持ち出されるのが、サンデル教授でおなじみの「トロッコのジレンマ」(フィリッパ・フット)である。5人を救うために1人を犠牲にするのは納得する人が多いが、5人を救うために1人を橋から突き落とすのは何故ダメなのか。

こういったどこにも「正解のない問い」を深く考察することが、論理性と感情の両方のバランス良い発達には必要、ということなのであろう。このためにまたとない研究材料を提供しているのが、文学の世界ということになる。

SQ関連
本書で触れられている門脇厚司氏の著作については私も読んでいる→『社会力を育てる――新しい「学び」の構想』門脇 厚司,岩波新書,2010年5月。門脇厚司氏の問題意識は深いところにある。子供の社会力が無いのは親がその子供に正しく接しないからであって、そのような子供から生まれた子供は同じような「階層」のパートナーと結婚するので、未来永劫そこから抜け出せないというものである。この無限ループから抜け出すカギが「大人と子供の接触」にあるというのが門脇厚司氏の説明である。どんな形を採るべきか具体性に欠けるものの、ひとつの方向性を示しているのは事実である。

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少年犯罪減少のパラドクス

少年犯罪減少のパラドクス 若者の気分』土井 隆義, 岩波書店, 2012年3月


少年犯罪が減っている。凶悪犯罪も長期的には減少傾向にある。若者は幸福感を抱いている。さて、何が問題というのであろう。社会学者の土井隆義氏は若者の置かれた社会的な環境に鋭く分析を加え、社会の風潮を読み解く。

私が育った1970年から1980年の小中学校は、ともかく荒廃していた。学校と対峙する不良グループが存在し、不良たちはは不良グループの中で居所を得ていたものである。ところが、1980年以降、不良グループも、暴走族も衰退してしまった。これは、「生徒の自律性を重んじる教師・親が増えた(page 75)」ことが理由のひとつであるらしい。暴力が減ったことは社会の秩序の維持にも繋がるし、若者は幸福感が増しているのだし、見た目は何も問題が無いように見える。

現在若者を取り巻く社会問題自体はここ20年程度は変化が無い。格差が広がっているかどうかはジニ指数といった尺度で年を追って厳密に論じられるべき問題であろうが、この本では触れられていない。一般論としては格差が縮小しているという報告は聞いた事が無いので、少なくとも、ここしばらくは格差は少なくとも縮小せずに存在している。貧困問題も然り。にも関わらず、若者の「幸福感」は向上し、家族との関係も良好だと答える若者が増えている。

問題は存在するのに、問題を問題だと感じない社会。「自分の輝かしい未来を想定しうる者は現在を不幸だと語ることができるが、それを想定しえない者は現在を否定的に捉えることができない 大澤真幸(page146)」という点になんとも言えない不気味さを感じる。

宿命的な人生観が支配すると、人びとの向上心や幸福を追求する外に向かったモチベーションは下がり、目的は内向化する。ひたすら仲間グループ内での承認へと向かう。

「かつての若者が抱いていた大いなる不満感は、いってみれば未来への期待の裏返しだった(page 177)」かつての不良・非行少年たちの迷惑な悪行を知っている私にとっては、昔の彼らの行動はすぐには承認し難いが、不満が何らかの社会変革を目指していたのは事実である。「問題があることを意識さえできない」という状況が本書が指摘する今日の問題点である。デュルケームはこのような状況が来ると予想していただろうか。

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キレイならいいのか ビューティ・バイアス

キレイならいいのか ビューティ・バイアス』デボラ・L・ロード, 栗原 泉 (訳), 亜紀書房, 2012年3月


THE BEAUTY BIAS
Deborah L. Rhode


非常に難しい問いかけである。容姿の問題は瑣末のこととは分っているつもりではあるものの、社会は多くの差別と不幸を生み出している。化粧品、ダイエットなど企業のセンセーショナルなマーケティングがさらにこの差別を増幅している。

法律上は男女平等が謳われ、目に見える差別については以前ほどでは無くなっている。しかし、女性にとって化粧や美容にかかる費用と時間は相変わらず相当なものを占めている。

日本では上野千鶴子氏をはじめとした女性学・社会学からの強い働きかけもあって、社会の中での目に見える差別は相当程度無くなってきているように見える。だが、根底にある意識はそう簡単には変わらない。そもそも、キレイなものを望むことは進化生物学的に見ても合理的な意識であるとの考え方も広く受け入れられている。

解決策はあるのだろうか。デボラ・L・ロード氏は、企業内での差別といった限定された範囲での差別の廃止を訴えている。これはまあ、反論する人はいないだろう。デボラ・L・ロード氏はまた、肥満対策と、健康的な食生活の推進を挙げている。これは少々ポイントがずれているように思われるが、提案できることにはかなり限定されているのだから仕方がないといえば仕方がない。

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Kiankou書評 ご参考リンク

デボラ・L・ロード『キレイならいいのか ビューティ・バイアス』亜紀書房, 2012年3月
ペギー・オレンスタイン『プリンセス願望には危険がいっぱい』東洋経済新報社, 2012年11月

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The Art of Choosing

The Art of Choosing, Sheena Iyengar, Twelve, March 2011 (Trade Edition)


GWに少々時間があったので原著で読んでみた。さまざまな場面で登場する人生における個々人の選択や日常の行動規範が内的あるいは外的な影響を受けることを心理学や発達心理学、行動経済学、の知見を元に捉えた書である。これまで私が読んできた経験と照らし合わせると、全く新規の話というものはそう多くは無いが、「選択」というキーワードをもとにそれらを再構築した点が評価できる。とくに Sheena Iyengar氏は日本での滞在経験もあり日本社会について一定の知識を持っている。海外人による比較文化論を好む日本人には受けるのだろう。

生まれ育った環境が「選択」において重要な影響を及ぼすという論については増田貴彦氏がSheena Iyengar氏に非常に近い議論を下記の本で展開していた。

『ボスだけを見る欧米人 みんなの顔まで見る日本人』増田 貴彦,講談社プラスアルファ新書,2010年11月
アメリカ人は「中心議題」をざっくりと捉える能力に優れる一方、日本人などのアジア系は詳細を捉えることに優れる。良い悪いではなく、これは性質なのである。

個人主義の社会と集団主義の社会。それぞれの社会が没交渉であればそう問題は生じない。だが、グローバル企業が登場し、TPPなど海外との貿易交渉が不可避となった今日にあっては、その間を取った新しい価値観を見出していかなければならない。

人事考課において「360度評価」という方法がグローバル企業を中心にここ最近広まっている。しかし、この評価制度は、基本的にはMBA的なアメリカ社会の価値観を元に創り出された制度である。社会的・文化的な背景を無視して形だけ日本に導入された「目標による管理」は、この制度を作った元の意図が忘れ去られ、いびつな形で運用される悲劇を生んだ。城繁幸氏が『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』はこの悲劇を実に鮮明に描いた。

行き過ぎた個人主義も、他人任せ過ぎる集団主義も、それぞれ、問題を抱えている。個人主義は新しい課題を見つけ、これを解決するためには良い方向に働くが、これが昂じると、他人への思いやりの無いギスギスとした社会になる。協調を主体とする集団主義は、世の中が安泰で変化の無い世界であれば問題は生じないが、世の中が急激に変化する中では、新しい考え方が生まれず、社会全体が萎んでいく恐れがある。

この2つの考え方に橋渡しをして、新しい考え方を見出すことが、今の世界に生きる人びと全員の課題である。本書は様々な視点から考えるための材料をたくさん提供してくれる。

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震災復興 欺瞞の構図

震災復興 欺瞞の構図』原田 泰, 新潮新書, 2012年3月


震災復興のあり方を批判的に考えたい人のための必読の書である。

やはりというべきか。東日本大震災の復興計画が不要な計画で満ちていることを原田泰氏が本書で大いに暴いている。いくら復旧、復興が急がれるといっても、どさくさに紛れて不要な予算を盛り込んでしまうこの精神構造は、どこから来るのだろう。

民主党が政府を執って以来、不要不急の公共事業を削減してきた。いろいろ批判はあろうが、業者と官僚の癒着構造から来る無駄遣いに一矢報いることには成功したようには見えた。しかし、東日本大震災が発生し、初動期において官僚とのコミュニケーション不足による動きの遅さが批判されるや、今度は官僚への徹底した丸投げ攻勢に出始めた。

公共事業抑制により自らの利権が弱まっていた財務省をはじめとする官僚にとっては、この上ない好機到来である。「復旧ではなく復興を」のスローガンのもと、不要不急で効率の悪い事業を1000年に1度のチャンスとばかりに次々と予算取りに走った。その額19-23兆円にのぼるという。10.6兆の増税案も可決されてしまった。

東日本大震災は確かに大変な悲劇であった。だが、現実を見据え、必要なものと、なくても良いもの、含むべきでないものの区別をしっかり見据える眼はどこに行ってしまったのだろうか。今回の震災が1000年に一度の震災というが、物的な損傷を検証するとそれほどでもないということを原田泰氏が本書で明らかにしている。今回の大震災の16年前には阪神淡路大震災を経験している。その他最近のものだけでも新潟の地震や、奥尻島を襲った津波もまだ忘れていない。今後来ることが確実視されている東海地震や関東を襲う地震も控えている。

「復旧でなく復興を」というのが被災に遭った自治体が揃って口にしたスローガンだ。確かにその理念はなんとなく理解できる。だが、人口が減りつつある農村や漁村に、エコタウンやバイオマスエネルギーの研究開発拠点を国の税金でつくる正当性はあるのだろうか。国が支えるべきは復旧であり、それ以上を目指すかどうか、そして実行すべきはどうかは自治体が自らの予算内で判断すべき内容だとの原田泰氏の意見は広く支持を得るのではないだろうか。

思えば、震災後の復旧、復興のあり方についてはこれまでまともに議論されることが無かった。いや、実は奥尻島のときも、阪神淡路大震災のときも、無駄な予算がつぎ込まれた事実はきちんと伝えられてきた事実であった。奥尻島についてはKiankou books review 津波災害――減災社会を築く,河田惠昭氏 ,岩波新書, 2010年12月という本の中で、津波のあと立派な防潮堤が建てられ、居住区も復興したものの、人はいなくなり、過疎がすすんでしまったことが報告されていた。神戸の常軌を逸したバブリーな箱物行政も嘲笑の種であった。これらの事実をあたかも全く知らないが如く振舞う財務省という役所は、どういう人の集まりなのであろうか。

震災復興に絡んで、後藤新平が提出した震災直後の「帝都復興プラン」が取りざたされることが多い。震災直後に、時間を置かずに大規模かつ大胆な復興プランが作成されれば、確かに早急な回復の足がかりとなろう。だが、後藤新平の真似は安易にはできない。後藤新平は台湾、中国本土で街づくりの実績があり、帝都の復興計画についても震災前のかなり前の段階から計画していたのであった→Kiankou books review 後藤新平 大震災と帝都復興, 越澤 明, ちくま新書, 2011年11月。後藤新平の計画が道や公園などのインフラに絞っていたことも留意する必要がある。

本書の「最も安上がりで効率的な復興策」として現金の支給を挙げている。不要な公共事業に投資するくらいなら、原田泰氏の案の方が遥かに優れる。

これに関連して、阪神淡路大震災の時に問題となった「二重ローン」については復興費用のなかに予算として組み込まれている。ところで阪神淡路大震災で「二重ローン」に苦しむ人はもう問題は解決したのであろうか。自分の問題が解決していないのに、東日本大震災で被災した人のために税金が使われるとなると、不公平である。天災が発生した際の債務の扱いについて、現在改定を検討中の民法でも考慮されている→Kiankou books review 民法改正 契約のルールが百年ぶりに変わる, 内田 貴, ちくま新書, 2011年10月。日本の民法はドイツなどヨーロッパの法律を元に作られた。ところが、ヨーロッパでは日本のように大震災に頻繁に見舞われることはなかったため、大震災に対応した民法規定があまり発達してこなかったということらしい。

さて、東日本大震災の復興の様子をよく観察しておこう。東海地震や、関東地区の震災が近い将来に来るのは確実なのだから。


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Kiankou books review 原田 泰氏の著作

『日本はなぜ貧しい人が多いのか 「意外な事実」の経済学』新潮選書, 2009年9月
『データで見抜く日本経済の真相 日本は決して終わらない』大和総研, 日本実業出版社, 2010年12月
『震災復興 欺瞞の構図』新潮新書, 2012年3月


ご参考リンク

内閣府(防災担当)「東日本大震災における被害額の推計について」2011年6月24日(PDF)

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3.11 複合被災

3.11 複合被災』外岡 秀俊, 岩波新書, 2012年3月


あの大震災から1年以上が経過したが、傷跡と呼ぶには生々しいほどに赤い血がいまだそこらじゅうから滲みだしている。混乱に至った原因や今後の課題についての発言はいまだ活発に続いている。今時点であの災害の全体像を総括するのは早すぎるようにも感じるが、ひとつの区切りとしてまとめることは意味がある。

想定外のため対応できなかったこと、事前の対応がうまくいったことなど反省材料はたくさんある。一番の教訓は、「想定外」が発生しうるということにあるように思われる。

津波対策
宇宙飛行士の毛利衛は、危機管理について、「100%の防御が無理なら、出来る限り生き延びる確率を増やすようにすること」だと書いている→ご参考: Kiankou books review 宇宙から学ぶ ユニバソロジのすすめ, 岩波新書, 2011年12月。今回の津波では津波対策の防波堤が部分的には機能したが、完全ではなかった。ひとつの防御だけにこだわらず、2重、3重の備えが必要である。津波は地震が発生してから押し寄せるまでに場合によっては数十分の猶予がある災害だ。今回の災害で死亡した原因の92.4%が溺死だということを考えると(page 24)、救命胴衣をひとり一つずつ備えていれば、少しでも多くの人命を救うことが出来たのではないかと悔やまれる。救命胴衣、ないしは浮き輪を自宅に常備しておくことは最も簡単な津波対策になるはず。

津波対策についての多くの本が出されているが、私がこの大震災の前に読んだもので印象に残っているのは河田惠昭氏によるKiankou books review 津波災害――減災社会を築く, 岩波新書, 2010年12月である。 50cmの津波に人は立っていられない。津波は火災を発生させる。車での避難は必ずしも責められないなど、多くの指摘がなされていた。今回の災害ではこれに加えてさらに貴重な教訓を得ることになるに違いない。

地震が発生してからかなりの時間があったのに、家族の安否を心配して自宅に戻り、津波に遭ったという方が多くいた。ふだん、家族でよく話し合い、「てんでんこで逃げる」の鉄則を徹底することと、救命胴衣を自分で着けるなどして自分の身は自分で守ることを徹底する以外に方策は無い。非常に厳しいようだが、生き残るためにはこれしかない。

先日読んだ大澤真幸氏の本(『夢よりも深い覚醒へ 3.11後の哲学』の中で紹介されていたのだが、山際 淳司氏の書いたノンフィクション『スローカーブを、もう一球』山際 淳司, 角川文庫, 1985年2月にでてくる「江夏の21球」のうちの19球目に投げたウェストボール、この感覚が震災対策には圧倒的に必要とされるセンスである。1点リード9回裏1アウト満塁で投げた第二球、投球フォームに入った後、手を離す直前に打者がスクイズの構えをするとみるや、江夏はカーブの握りから握り替えずにそのまま外角高めに大きくはずし、3塁から飛び出したランナーを3本間に挟殺、危機を救った。カーブの握りのままウェストボールを投げるなど、練習できるものでは無い。日頃の訓練は必要だが、それはまさかの時の危機に備えるための鍛錬であり、胆力を鍛えるものでなければならない。何が起きるか分らないことの訓練など、できる訳がないだろう。

津波や地震の教訓は今後も多く語られるだろう。中には重要な示唆もあろう。だが、それが「津波対策費」という名の血税を使った予算取りの口実となり、うまくいかなければ「想定外」と言えばいい逃れると安易に考えるなら、そんな対策は要らない。震災はいつどこで発生するか未知なのである。いつでも瞬時の判断でウェストボールを投げられるセンス、人間力を磨いておこう。

原発
原発については総括するのが時期尚早であるように思われる。溶解を起した燃料棒をいかに回収するか、技術的に困難な問題が多いと専門家が指摘している→ご参考: 田坂 広志『官邸から見た原発事故の真実 これから始まる真の危機』 光文社新書, 2012年1月。安易な楽観主義は禁物である。チェルノブイリで健康被害が顕在化しはじめたのは事故発生後10年を経た後である。留意すべきは、緊急時の避難指示についてはチェルノブイリの方が福島よりもずっと優っていたという点である。表面の土を除染すればよいというが、その土はどこへ持っていくというのだろうか。水で除染すれば、流れ出した水は川や海を汚染する。実際、海や河の底に溜まった土から高濃度の放射線物質が東京近辺でも検出されているとの報告がある→ご参考: 東京湾 周辺河川の放射線物質 NHKニュース。最終的な処理方法が決まっていない中で、現実に発生した被曝土の扱いを無視することは出来ない。政府は早々と収束宣言を2011年12月に発表しているが、出来もしない工程表を発表しただけで安心していないだろうか。都合の悪いことをことさら早く忘れたい日本人の悪い性質が現れているようにおもえてならない。

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夢よりも深い覚醒へ

夢よりも深い覚醒へ 3.11後の哲学』大澤 真幸, 岩波新書, 2012年3月

3.11の衝撃を受けて、これに対処するための試みが多くなされている。大澤真幸氏による本書は特に原発事故に絡んでこれが発生した背景について洞察を行う。この洞察は宗教的・哲学的な根源の探求に向かう。

震災後原発事故が発生したとの報道を受けたにも関わらず、アンケート調査によると、過半の日本人が原発を支持しているという。日本は唯一の被爆国であり、今また大きな原発事故に見舞われたというのに、である。ドイツのメルケル首相が方針を表明するまでの間に多少のブレがあったにも関わらず最終的には原発廃止を表明したことと大きな差異が生じている。

日本でこのメンタリティーが生じているのは何故か。平和憲法・非核三原則・原爆の非保持。これが絶対的に守られているとの建前があるゆえに、原子力発電所を持っても安全なのだと思い至ったというのである。大澤真幸氏のこの分析は見事というほかない。建前だけ守って入れば大丈夫との不思議な(実は間の抜けた)安心感が、危機意識を曇らせてしまった。

「逆ソフィの選択」と大澤真幸氏が呼ぶ原発廃棄物をどうするかという問題は、それが将来の問題か現在の金銭的な問題かという点において、未来を代弁する論者が眼の前に現れないがために、安易な方へと流される偏向風が強く吹いている。大澤真幸氏はこれをきっかけに、この選択の問題を宗教的・哲学的な問題としてより深く掘り下げていく。

原発事故に従事する作業者は、通常の人に許容されるよりも多くの放射線を浴びることになる意味において、倫理的に許されないと大澤真幸氏が述べている。これは正論である。原発は倫理的に許容されない。

3.11直後の原発事故当初、私は原発を廃止すべきでないとの信念を抱いていたが、多くの知見に接し、様々な意見を聞くにつけ、一番の問題が原発の廃棄物にあることが明らかになってきた。しかも、これは未来の問題でなく、今日発生している眼の前の問題である→ご参考:Kiankou books review 官邸から見た原発事故の真実 これから始まる真の危機, 田坂 広志, 光文社新書, 2012年1月 。除染した土をどこに捨てるべきか。その場所がすでに見当たらないという現実的な問題に直面している。10万年先の問題ではなく、現実として突きつけられた差し迫った問題との認識を持たねばならない。


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Kiankou books review ご参考リンク

江夏の21球 - 『スローカーブを、もう一球』山際 淳司, 角川文庫, 1985年2月

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Kiankou books review 大澤 真幸氏の著作

『「正義」を考える 生きづらさと向き合う社会学』NHK出版新書,2011年1月
『近代日本のナショナリズム』講談社選書メチエ,2011年6月
『夢よりも深い覚醒へ 3.11後の哲学』大澤 真幸, 岩波新書, 2012年3月

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アサーション入門

アサーション入門 自分も相手も大切にする自己表現法』平木 典子, 講談社現代新書, 2012年2月

思ったことがうまく伝えられない。日本人に有り勝ちなこの内気な体質を打破するにはどうすれば良いか。本書はアサーティブになるための表現方法についていくつかのヒントを与えてくれる。企業の社内研修などでロールプレイングをしながら練習すると、本書の内容はかなり身に付くのだろう。

買い物に行ったが、店員がお喋りをしていて自分が店に入ってきたことに気付かない。さて、どうするか。『はじめてのおつかい』(筒井 頼子作,林 明子絵)では、ちいさい女の子が牛乳を買ってくるようにお母さんに言われて、最初は蚊の鳴くような小さな声しかだせなかったが、意を決して、大きな涙をポロンとこぼしながらも、「牛乳下さい」と大きな声をだすことが出来た。自分の気持ちを素直に伝える訓練を子供の頃からやっておくことがまずは大切なのだ。自分のことを伝えないと、相手にとってはその場では都合が良いかもしれないが、長い目でみると、相手にとっても不誠実となる。まずは、自分を表現する方法を学ぶことに本書は力点が置かれている。これは方法論としては正しい。

自分が自分の思いを伝えた時に、交渉が始まる。このプロセスは、「交渉術」として書かれている他の多くの本の内容と重なる部分が多い。こちらの希望を伝えた上で、中間を取る。ないしは、第三の手段を編み出す。

本書では、相手からの要望に対して、いかに「体よく」お断りするかという事例が数多く登場する。例えば、煩い音を出して音楽を聴いている相手に対しては「あなたは」を主語にせず「私は...」と間接的に表現することで表現が和らぐと書いている。なるほど。これは一つ。また、単に「音が漏れてますよ」というように、無生物を主語にする方法もありそうだ。また、部下や同僚に対して行動を促す方法にも言い方があることが本書で紹介される。要は「頭ごなしに怒らない」のがひとつの鉄則のようである。

表面的な言葉やテクニックを超えて、相手の気持ちを理解するように努めれば、自然と口についてくるようになる。そこに至るまでの、この本は最初の一歩を解説した本である。

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輿論と世論

輿論と世論(よろんとせろん) 日本的民意の系譜学』佐藤 卓己, 新潮選書, 2008年9月


輿論と世論の違い、そして世論に代用されていった経緯と問題点がこの本でよく理解できた。

当用漢字が制定されるときにひとつの言葉が失われた。当用漢字制定時に輿論という言葉を失ってしまった詳しい経緯を本書では伝える。従来別の意味として存在していた世論(せろん)を「よろん」と読ませることで代用させようとしたのだが、当然のことながら混同されてしまった。

葬られてしまった輿論の本来の意味はpublic opinion。これに対して世論はpopular sentimentsというもので、まるで内容の異なるものである。

輿論という言葉とともに、public opinionという考え方も一緒に無くなってしまった。これは日本人にとっては不幸である。世の中の多くの人の意見という意味での輿論は、他に代用のしようのない言葉だ。

この2つを意図的に混在させて世間の意見を操作せんとするメディアの恣意性を誘発する。さらに、世論調査により得られた結果は「民意」ではなく、世間の一時の感情だと読み解く見方さえも許してしまっている。世間は2重の意味で裏切られている。

日本国民が、場の雰囲気に流され易い性質であることもさらに混乱に拍車をかけている。言葉が人間の感情を作るということもある。ここは、将来のより建設的な日本人の民意が反映されることを願って、「輿論」という言葉を復活させる運動に私も加わりたい。

ちなみに、2010年11月30日に常用漢字に196字が追加されたが、「輿」は追加されなかった→常用漢字に追加される漢字候補の変更経過:漢字辞典ネット。これをみると「淫」や「艶」など常用漢字制定時に削除された文字が追加されている。輿の字は「神輿」などの他に利用例は少ないかもしれないが、「輿論」という重要な用途がある。これが意図的に削られてしまった背景があったことを本書で理解されれば、将来常用漢字に追加されることは十分可能である。

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20121023
「常用漢字に追加される漢字候補の変更経過:漢字辞典ネット」のリンクを修正。

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ひとりで死んでも孤独じゃない

ひとりで死んでも孤独じゃない 「自立死」先進国アメリカ』矢部 武, 新潮新書, 2012年2月

アメリカの高齢者は元気だ。ヴァイタニードル社の平均年齢は74歳。高い生産性を維持している。ご高齢の方は体力の衰えにも拘らず高い知能を有していることはKiankou books review ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす, 佐藤 眞一, 光文社新書, 2011年12月という本にもその理由が紹介されている。高齢者には「知の結晶作用」が働く。高齢者だからこそ有利な資質というものがある。現役を続けることが高齢の方にとっては生きがいそのもの。

勤労に対する精神だけだったら、日本の高齢者も負けていないだろう。高齢者のネットワークという意味でも、日本の今の高齢者は朝の公園での散歩仲間を募ったりするなどして、それなりにうまく対応しているように思われる。

アメリカのご老人方が、単身であることをむしろ楽しんでいる風情なのが羨ましい。日本で「孤独死」や「無縁社会」という言葉がよく言われだしたのは、NHKの特集番組や本の影響が大きいように思われてきた。不安を煽るだけ煽って、解決策を示さないのは、無責任な態度といわざるを得ない。

アメリカにはボランディアの文化がある。これが高齢化社会を迎えるこれからの社会にとっては非常にプラスに働く。日本にはボランティアとは言わないまでも、隣近所両隣の家庭のお互い様の助け合いがかつては盛んに行われていた。矢部武氏は、日本の隣近所の付き合いが「表面的」と批判しているが、そうとも言い切れない地縁的なネットワークはまだまだ健在である。ただ、単身世帯が増えている中では、地縁的な付き合いが減っているのは事実である。

藤森克彦氏が2010年5月に『単身急増社会の衝撃』を書き、男性の中高齢の単身者の急増を予想している。高齢者の介護を家族単位に任せて乗り切ろうとの絵を描いた厚生労働省は困ったことになったと思っていることだろう。

矢部武氏は「結婚しているからといって幸福とは限らない」と、もう一つの論点を本書に持ち込んできた。結婚しても気持ちが通い合えないパートナー同士は不運としかいいようがない。そもそも、結婚したとしても、寿命の長い女性の方が最期には、何年か何十年かはひとりで暮らす生活が待っている。そういった意味では、パートナーに恵まれて、先にこの世を去っていくことになる私のような既婚の男性は単身で暮らす生活を考えずに暮らせる一番恵まれた境遇ということになる。

ボランティアを生活の一部とするアメリカと、ボランティア精神が育たないため、金(または税金)に頼らざるを得ない日本のとの違い。単身者が主流となる近未来では、ネットワーク能力の有無が人生を大きく左右することになるのだろう。お金と能力のある人は、上野千鶴子先生の描いた『おひとりさまの老後』や『男おひとりさま道』を熱心に研究して、近未来の老後にすでに備えはじめている。問題なのはお金も能力もない、私を含めたその他大勢の大多数の日本人である。民間の企業ベースでは、採算ぎりぎりで高齢者向けの配膳サービスを始めたところがある。まだ対象エリアは限られるようだが、ボランディアに代わる日本的な配膳サービスとして定着するか、私は注目している→ご参考: ワタミの宅食

住宅に関して言えば、日本の場合、課題は良質な高齢者向けの住宅の提供である。2010年5月の高齢者居住安定確定法の改正によって、賃貸住宅とデイ・サービスや医療を同じ建物に作るような施設を提供することが可能になった。これによって、普段の生活は賃貸住宅で過ごし、万一必要なときにはサービスをその都度受けられるという仕組みが可能になった→報道発表資料:高齢者の居住の安定確保に関する法律の一部を改正する法律案について- 国土交通省(2011年2月8日)法律が変わったといっても実効性をもつかどうかまでは私には情報が無くて実態は分らない。ルームシェアや、ホームシェアリングは最近では若者の間に広まりつつあるようだが、高齢者向けに提供する事業者は今後増えてくるのだろうか。さまざまな試行錯誤がこれからも必要になるはずだ。

結婚の有無にかかわらず、年金などの仕組みは個人単位とするよう再整備されるべきだ。サラリーマンの妻の年金制度など、これを全て個人単位に変更するには課題も多いが、社会の変化はおもった以上に急速に進んでいる。

単身者であることが孤独を意味するといったマスコミのキャンペーンに乗せられてはいけない。人に依存していれば確かに楽だが、そんな中から人への思いやりが生まれてくるだろうか。個人ひとりひとりが精神的に独立しているからこそ、他人への思いやりも生まれて来る。

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Kiankou books review ご参考リンク

Kiankou books review 男おひとりさま道, 上野千鶴子

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超高齢社会の基礎知識

超高齢社会の基礎知識』鈴木 隆雄, 講談社現代新書, 2012年1月


超高齢化社会に向けて、一人ひとりに準備を促す本。鈴木隆雄氏の本書の提言は、私が日頃問題と感じていることと重なる部分が非常に多かった。

高齢者を人括りに出来ない。まずはこの認識が大切だと本書で実感した。多様性のある人々の集まりに、多様性のある政策が必要。そしてその実現のためにはこれまで無かった新しい知恵と、勇気が要る。その暁には、幸福な未来が待っている。

現在80歳以上の高齢の女性は、活動能力が劣っている。戦前に生まれ非常に不幸な時代を生き抜いて来たかた。致し方の無いところである。ところで、本書では触れられていないが、現在60代の女性は、逆に、非常に活発で健康に対する意識も高いのではないだろうか。どこへ行っても元気な60代の女性が目に付く。鈴木隆雄氏が本書に提示した20年に渡る調査の結果は貴重であるとは思うが、世代が違えば特性は全く異なってくる。さらに同じ年代でも体力的に元気な人、そうでない人の個人差が大きい。10歳程度の大きな括りで特性の分類を試みながらも、細かく分析する必要がある。

鈴木隆雄氏のデータに基づくと、今現在一番の問題になっているのはご高齢の女性ということになる。ところで、私が最近読んだ別の資料では、2030年になると単身者、とくに男性が数の上では急増すると書いてあった→Kiankou books review 単身急増社会の衝撃, 藤森 克彦,日本経済新聞出版社,2010年5月。高齢の女性も引き続き重要な問題であり続けるであろうが、社会全体としてみた場合には、単身の、しかも高齢の男性が増大するとなると、年金や医療・介護保険などのシステムがこの前提で作られていないとすると社会問題化する恐れがある。医療に限らず社会学や心理学、財政学など様々な角度からの研究と連携が必要である。

鈴木隆雄氏の指摘するように、退職の時期を迎えても資質的に何ら問題の無い人も多い。高齢者が「展望的記憶」が優れるというのは最近の老年行動学からも明らかにされている→Kiankou books review ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす,佐藤 眞一, 光文社新書, 2011年12月。「知恵の結晶作用」を育んだ年配者を再雇用なり新たに生かす知恵が必要である。本人だけの努力では限界がある。社会のコンセンサスが不可欠だ。

医療の目指すところ
年齢を横軸、死亡者数の対数を縦軸にとると「ゴンペルツ曲線」が描かれるという説明は非常に分り易い。個別の病気によっては多少の違いがあるにせよ、現在の医療はその目的をほぼ達成していると鈴木隆雄氏は評価する。

病を治すことは医療の目標のひとつだ。その病さえ無ければさらに長生きが出来て、社会に幸福をもたらすとの信念である。これは一面の真理である。

だが、超高齢化社会にあっては、その看板を見直す必要がでてくる。一番の目的は患者の幸福。このためには、病は時には絶対的に克服すべき相手ではなくなる。もっとも、患者のQOLを維持するためには必要な医療は残ると思われる。

1951年には自宅死が80%を超えていた。ところが2005年には病院で死を迎える人が87%を超えている。超高齢化社会のほんの入り口の現在で、これなのである。病院のベッドはどこも埋まっており、入院まで何ヶ月も待つというのが当たり前の光景になっている。この先、実際問題として、超高齢化社会に向けて、全ての必要な人が入院するにはベッド数が全く足りなくなってくる。

自宅で最期を
老人が病院で最期を迎えることになったのはこの50年のこと。いつの頃からか、「死」は汚いものと考えるようになってしまった。病院という、誰も見ないところでひっそりと迎えるため、何か、「死」がものすごく怖いもののように感じるようになってしまったのだ。大井玄氏という医師がそのように書いているKiankou books review 人間の往生 看取りの医師が考える, 新潮新書,2011年1月

ここで必要なのは、「老衰」という選択を敢えて選ぶ勇気である。こうなると医療の領域ではなく、いかに生きるかという哲学の領域である。大井玄氏の際にも書いたが、我々が準備すべきなのは、延命措置をきっぱりと拒絶する芯の強さ。延命するから痛みが続く。枯れるようにひっそりと最期を迎えれば、痛む事は無いと看取りの医師大井玄氏が書いている。誤嚥性肺炎は、無理に食事を摂ろうとするからそうなる。

「ぴんぴんころり」が作られた幻想であるという鈴木隆雄氏の主張はもっと多くの人に知って欲しい。目指すは心が満たされた中でゆっくりと生涯を閉じる人生だ。「孤独死」が怖いものだと煽っているのは誰だろう。コミュニケーション力をそれまでにゆっくり身に着けていこう。まだ、時間はたっぷりある。

多くの人にイメージを抱いてもらうためには、言葉で説得するよりも、映画とか、小説の方が説得力がある。幸福な「老衰」を描いた映画や作品は、どこかに無いかしらん。

メタボ予防の時期を過ぎたら介護予防
ある時点(70-75歳)を過ぎたら、介護予防に重点を置くべきと鈴木隆雄氏は提言している。これは重要な指針だ。国民の間にぜひ広まってほしい。誰もが自分の人生の最期を気持ちよく終わらせたい。その心得があれば、生きることにも張りがでてくるというものである。



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Kiankou books review ご参考リンク

Kiankou books review 新国民病ロコモティブシンドローム―長寿社会は警告する, 中村 耕三, 生活人新書(日本放送出版協会), 2010年3月
Kiankou books review 人間の往生 看取りの医師が考える, 大井玄, 新潮新書,2011年1月
Kiankou books review ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす,佐藤 眞一, 光文社新書, 2011年12月
Kiankou books review 超高齢社会の基礎知識, 鈴木 隆雄, 講談社現代新書, 2012年1月

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