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現代語訳 文明論之概略』福沢 諭吉, 伊藤 正雄(訳), 慶応義塾大学出版会, 2010年9月
『文明論之概略』の初出は1875年8月。本書は『口訳評注 文明論之概略』(1972)として伊藤正雄氏が出版したものを再編集して復刊したもの。『文明論之概略』を現代語で読むには本テキストが最適である。
『文明論之概略』は岩波文庫に収録されているが、これを読み通すには現代の読者にはハードルが高い。ネット上にも『文明論之概略』を公開したものがいくつかあるので、ためしに第一章の最初の部分を読んでみることをお勧めする。
文明論之概略『文明論之概略』(1875)は『学問のすすめ』(1872-1876)と並んで福沢諭吉の最も重要な著作である。『学問のすすめ』は初学者から社会の中間を担う層にかけて書かれた散文的な性格のもので、首尾一貫した主張を著したものではない。『文明論之概略』は最初から一貫して意図された構成のもとに書かれた。
福澤諭吉を読むなら『福翁自伝』『学問のすすめ』『文明論之概略』の3冊である。『福翁自伝』はいつ読んでも良いが、あとの2冊は『学問のすすめ』『文明論之概略』の順に読んだほうが良い。『文明論之概略』は少々難解な部分があるが、その幾つかの論が『学問のすすめ』ですでに触れられている。この3冊が現代語で読む事ができる喜びを先学の諸子に感謝する。
この伊藤正雄訳による『文明論之概略』には、単なる語句解釈を超えた福沢諭吉の思想についての分析や、福沢諭吉のその後の著作で考えが変わっていった推移にまで立ち入って丁寧に注釈をつけており、読み応えがある。ちなみに丸山 真男氏が『文明論之概略を読む』を書き、さらにその反論として、西部邁氏が『福沢諭吉 その武士道と愛国心』を書いたということはネットを調べて了承済み。まずは直接『文明論之概略』を読んで、自分なりの意見を持つことからはじめたい。
本書は緒言と10章に分かれる。
第一章 議論の本位を定る事第一章はその後の議論をすすめにあたっての準備。「軽重長短善悪是非」はすべて相対的なものであると看破し極論を排する。自分の論と相容れない相手の論に対しても「両眼を開いて長所と短所の両方を見よ」という非常にプラグマティックなスタンスを取る。相手との交際を活発にし、自らの議論を表明することをすすめているのは『学問のすすめ』の論にもあい通じる。
第二章 西洋の文明を目的とすること文明を最上の段階・半開・野蛮の3つに分け、日本を半開国と看做す。すべて相対的であり、欧州等についても現代進行形ととらえる。西洋については「外交の法などに至っては、ペテンと駆け引きの連続以外の何物でもない」と述べる。この議論は第十章につながる。決して理想化するようなことはないが、遅れている分野については素直に認めて現段階としては西洋の文明を目的とすると定義する。
なお、西洋が到達した文明を目指すに当たっては、「簡単なことは後回しにして、難しいこと(内面的な精神文明)を優先して取りいれよ」と福澤諭吉は言っている。政令・法律、ましては人びとの気風は一朝一夕に変えられないと看破する。教育者として正しい発言である。
日本においては将軍家と皇室が程よいバランスを保ってきたとみる。また、国体論を展開し、他の国の支配を受けていない限りは国体が保たれていると定義する。これも第十章につながる議論である。国体にからんで皇統について触れ、皇統については維持することはそう難しいことではないとする。重要なのは国体を維持することだというのが福澤諭吉の議論である。国体を護ること=外国から占領されないために、知力を結集して古い因習を捨てて西洋の文明を取り入れて国力を高めようと論を進める。明治以降日本がすすめた富国強兵につながる議論である。
皇室については外観を飾る愚を戒める。「英国の王室が栄えているのは、何故かといえば、王室の虚威を減らして、人民の権利を伸長したからだ。それによって、全国の政治が実力を増し、その国力の発展とともに、王室の地位も強化されたためである。」この議論はまことに伸びやかである。この精神が浸透していれば、幕末から明治にかけての「尊王派を語る」狭小な極右派によるテロ行為は無かったのではないだろうか。
「国体が貴いのではなく、その効用が貴いのだ」のちに国体護持が皇統論と結びついて議論されるのを知っている現代からみると、この部分だけを読むと誤解しそうである。ここでは国体とは国家体制の独立という意味だ。このために皇統が利用されてもよいではないかと福澤諭吉は議論している。
第三章 文明の本旨を論ず「すべて世界中の政府は、ただその国の便利のために設けられたものだ」と福澤諭吉は語る。江戸幕府の体制が崩壊したのは、民衆が古い体制を捨てて、新しい政府を望んだからだとの説を『学問のすすめ』の中でも展開している。「開闢の時より今日に至るまで、世界にて試たる政府の体裁には、立君独裁あり、立君定律あり、貴族合議あり、民庶合議あれども、唯其体裁のみを見て何れを便と為し何れを不便と為す可らず。」これは卓見である。
「君臣の倫は天性にあらず」生まれながらにして身分が決まっていることに対する福澤諭吉の反論。旧来の因習を一掃したいとの福澤諭吉の想いが込められている。
アメリカ合衆国の誕生の経緯については福澤諭吉はやや理想化して理解しているように思われる。アメリカの乱暴さや無作法を批判しつつも、国民全般の心が国政に反映されている仕組みを評価している。
第四章 一国民の智徳を論ず「一国の文明は、国民一般の智徳の全量」この考え方は非常に先を見通した考え方である。偶然を排し、「統計」的を用いて人の動きを捉えよ、と論じている。統計学や行動科学に繋がる実証的な学問を推奨する。国全体の動きも、2,3の英雄偉人の力が左右するものではなく、社会全体の人民の気力が決める、とみなす。そこで、天下の”衆論”、人民の間の間違いがあればそれを正すことが重要であると考える。政府は外科手術。学者は養生であるとし、福澤諭吉は学者の視点から衆論を正すことを目指すと自らを定義する。
第五章 前論の続き”衆論”は単純な多数決ではなく、智徳の多少で強弱が決まると書いている。これはJ.S.ミルの論じた修正功利主義の立場である。維新が民衆の知力によって変革されたのだと繰り返し論じる。
西洋の会社制度や学会、寺院の団体組織など利益を同一とするものの集団制度の利点を挙げている。福澤諭吉が論じた当時は、会社組織をつくるようなところは大規模なところに限られていたようである。なお、維新により華族・士族の録が廃止されたのに、自らの権利を主張しないことに福澤諭吉は疑問視する。「日本人が無口の習慣の結果、当然主張すべきところも黙って、事なかれ主義に甘んじ、いうべきこともいわず、問題とすべきことも問題とせぬのみ呆れるばかりである。」日本はあまりにも長い間自己主張をすることを抑制してきたようだ。今日においてもこの日本人の性格が残っている。
第六章 智徳の弁徳は古より定まっているものであり智は日々変化する。智の教育を実施せよと説く。
第七章 智徳の行われるべき時代と場所を論ず過去の時代・場所を論じながら智徳がどのように発揮されたかを論ず。道徳による治世と法律による治世を論じ、法律の必要性を説く。
第八章 西洋文明の由来教会の存在、十字軍、宗教改革。これらの中から人民の自由な精神による発露と読む。17世紀以降のイギリス・フランスにおいても様々な上層の社会の変革の背景に、人民の知力の進歩があったと指摘する。この点が日本との大きな相違である。日本では「階級」や「地域」を代表して変革を求めるという動きが少なかった。
第九章 日本文明の由来この章は第八章と好対照をなす。権力の偏重があらゆる場所に存在していたと論じる。支配者はたびたび変わるが、誰が天下を取ろうが、下々の生活や国勢は一向に変わらない。
日本の歴史は政権者の交代の歴史であり、誰が上に立とうが、彼等は自分達のことしか考えていない。私が日本史を学生のころに学んでいて非常に退屈に感じていたのも、よく考えてみるとこれが原因であった。木下藤吉郎がどんなに偉かった人か知らないが、日本はそれによりどれだけ前進したのか。戦国の武将の武勇伝は聞く分には面白く、ある人にとってはビジネスの参考や自己啓発になるのかもしれないが、一般の庶民に何の利益があったというのであろうか。歴代の首相の名前を丸暗記するのと同じくらい、味気の無いものである。私は学生時代にこの福沢諭吉の持つような歴史観があることを知っていれば、日本の歴史をもうすこし違った目でみていたことだろう。
戦国武将なんて、結局ものすごく自己中であった。
商工業、市民階級が日本では発達しなかったのは、封建社会の上に立つ人間が変革を恐れて人々の自由を奪う精巧な仕組みを発達させたからである。
江戸時代、四民のなかでも商業を一番下に置いたのは、金の力が権力と結びつくと腐敗が生じることを察していたからだというのが新渡戸稲造の説であったと記憶している。あまりにも精巧で強力な封建制度が人民の変革を希望する力を奪い、現状維持を望む心を形作ったのであろう。学問は現状を変革する力とならなかった。このような環境下では文明・経済が成長しなかったと批判する。この福澤諭吉の歴史観はたいへんな慧眼であった。
第十章 自国の独立を論ず第九章までで日本が文明が遅れてきた由来を論じて西洋文明を吸収する必要性を説いてきた。第十章では視点を変えて、開国以来の重要事項である自国独立を達成するための要件について論じる。
この第十章は『文明論之概略』の中でも白眉である。今日の日本の外交通じる非常に重要な示唆を与える章である。
江戸の時代の崩壊を促すことになった国学派であるが、皇学派流の国体論には福澤諭吉は疑問を呈す。実際には明治から昭和にかけて皇国史観が大いに喧伝され、ついに敗戦に至るまでは皇統派が優位を占めていたのである。第二章で福澤諭吉の説くように皇統とは少々距離を置き、国民の国力を増すことが皇統を輝かせるといった発想が広く浸透していればと思わざるを得ない。
江戸末期から明治のはじめにかけては、今日からみても、日本は非常に危機的な状況にあった。インドや中国が帝国主義的な列強から不平等な地位を押し付けられているなかで、日本も5箇所の港を開いているなかで、生麦事件など欧米人との摩擦が発生していた。薩英戦争や神戸事件も実際に発生しており、すこし間違えば戦争に発生しかねない状況にあった。福沢諭吉が国家の存続の危機と感じていたのは大げさではない。
福沢諭吉によると、当時5港が開港し、港近辺で貿易を開始したわけであるが、その貿易の実体について詳しく知っていた人間は庶民には少なかったらしい。条約の詳細についても庶民は知らされていなかった。これは、当時の官吏が日本に不利なことを極力知らせないようにしたことに原因があるようだ。いたずらに攘夷を煽ることを避けたかったということもあろうが、人民に知らしむべからず、都合の悪い事は隠してしまえという今日に至る官吏の悪癖が作用したのである。
交換価値に対して無知だったため日本は価値のある金銀など天然資源を流失してしまった。ここで、福澤諭吉は「経済の貧富が、天然資源の多寡に依存せず、実際には専ら国民の知力の多少と、その活力の巧拙とによる」と論じる。これは今でこそ珍しくない議論であるが、当時としては画期的だったはずだ。肥沃なインドが貧しく、天然資源の少ないオランダが豊かな理由。それは「無形・無限の知力・労力」を使っているからだと喝破する。
イギリスが本土の人口が少ないのにかかわらず、文明が栄えている。この本質を金融にあると福澤諭吉は見抜く。イギリス帝国が繁栄したのは、産業革命など商工業産業が発展したからではなく、いちはやく金融業を発達させたからだと秋田茂氏が近著
『イギリス帝国の歴史 アジアから考える』秋田 茂, 中公新書, 2012年6月という本の中で論じている。福沢諭吉はここでは高い利子を払って欧米諸国に「濡れれて粟」で儲けさせる実情を観て、憤怒やるせないといった風情である。
外国人の傍若無人な振る舞いを指摘し、注意を喚起する。外国人に対して同権の意識を以って接する人が少ない点も憂慮する。封建制が長く続き、庶民の権利意識といったものが欠如しているためだと福澤諭吉は指摘する。
兵備についてみだりに兵を増やしても、国力全体を向上させないとダメだと論じる。巨艦を買っても借金という敵には勝てぬと論じる。ちなみに日本は日英同盟を根拠に日露戦争の折にイギリスに手伝ってもらい円建ての外債を発行した。
今日の外国との様々な交渉に接して、あるいは、広く商業活動全般をみるにつけ、福澤諭吉の慧眼が輝きを増す。封建時代はとうに去ったとはいえ、日本人の意識はなお旧態依然とした感情が残っている。
本書を通じて福澤諭吉は何度か繰り返しているが、この書は日本が現に直面する国難をどう乗り切るかという視点に立って書かれている。最上の国になる方法を悠長に議論している暇などない。
この差し迫った危機感が、本書の目的を濃縮し、読む者に高い目的意識を宿らせる。福澤諭吉が今日生きていたら、自分の書いた内容が大筋でいまだに通用することをみて、半ば喜び、半ば呆れるのではないだろうか。今日この書を読む我々も、同じような危機意識が必要だ。
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Kiankou書評: 福澤諭吉の著作
『現代語訳 学問のすすめ』福澤 諭吉, 齊藤 孝(訳), ちくま新書, 2009年2月『福翁自伝』福沢 諭吉, 講談社学術文庫, 2010年2月『現代語訳 文明論之概略』福沢 諭吉, 伊藤 正雄(訳), 慶応義塾大学出版会, 2010年9月---
Kiankou書評 ご参考リンク
島崎 藤村『夜明け前 第一部 上』新潮文庫, 1954年12月『明治維新 日本の歴史 16 集英社版』中村 哲(著), 集英社, 1992年9月『明治維新』田中 彰(著), 講談社学術文庫, 2003年2月渡辺 京二『逝きし世の面影』平凡社ライブラリー, 2005年9月『開国と幕末変革 日本の歴史18』井上 勝生, 講談社学術文庫, 2009年12月福沢 諭吉, 伊藤 正雄(訳)『現代語訳 文明論之概略』慶応義塾大学出版会, 2010年9月犬塚 孝明『海国日本の明治維新 異国船をめぐる100年の攻防』新人物往来社, 2011年6月加藤 祐三『幕末外交と開国』講談社学術文庫, 2012年9月『幕末・維新 シリーズ日本近現代史 1』井上 勝生, 岩波新書, 2006年11月岩波新書編集部『日本の近現代史をどう見るか シリーズ日本近現代史 10』岩波新書, 2010年2月
テーマ : 読んだ本。
ジャンル : 本・雑誌