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国語が子どもをダメにする

国語が子どもをダメにする』福嶋 隆史, 中公新書ラクレ, 2012年8月


福嶋隆史氏の論点をまとめると2つある。文学的な文章を扱うなという点と、文章表現の型を覚えさせて記述・表現中心の授業にせよという点である。


福嶋隆史氏が本書で挙げた論点について考える前に、小学校の国語の授業が授業全体の4分の一を占める理由は何かを考えてみたい。当方には現在公立の小学校に通う5年生の娘がいる。このため学校・文部科学省の教育方針についてはかなり詳しく情報が入ってくる。

私の担任の先生から伺った内容などを総合すると、国語の授業時間を長く取っているのは、国語が全ての教科の基礎に当たるとの判断が働いているためである。正確に読み取り、または聞き、まとめて、話し、書くことを目標にする。このため国語の教材に理科や社会の話題が採り上げられることもある。要は文部科学省は国語を単なる教科のひとつではなく、基礎的で最も重要な教科と考えているのである。効率的な学習を考えると、国語に一番の優先度を与えることは、合理的な方法であるように思われる。

ところが、実際に使われる教材は、寺子屋以来の儒教的徳育教育重視の伝統が息づいている。「修身」は明治時代でも教育科目の筆頭であった。要は入れ物だけは新しくして新しい時代に必要な技術を習得させるといいながら、その古い精神はいまだに払拭されていないのである。


文部科学省のこの実体を念頭に置きつつ、福嶋隆史氏の論点について以下考えてみた。

国語は道徳の授業であると心得て受験に望めというのが石原千秋流の受験テクニックであった。福嶋隆史氏はもう一歩踏み込んで、国語を道徳教育にしてしまっている元凶である文学的な文章を国語で扱うなと論じている。文学的な文章を本質的に理解しようとすると、どうしても作者の感情の裏側を覗いてみる必要が出て来る。豊かな感情を育み、人格形成を促すには大切だが、道徳の授業との境界が曖昧になっているのは事実だ。これは誰もが気付いている。また、福嶋隆史氏は、文学的表現は試験問題に不適だと論じる。文学的表現は言葉に表さない、現れない裏の意味を汲み取りながら解釈し、鑑賞することを要求する。これを一字一句の意味解釈の言い換え問題を作成すること自体、無理がある。これはもっともな意見である。文学的な文章を読むのが音楽と同じように鑑賞の科目であるならば許されるであろうが、点数を競う入試問題に使うには不相応だ。


文章表現の型を覚えさせて記述・表現中心の授業にせよとの福嶋隆史氏の意見には賛成する。ただ、当方の娘が学校から持ち帰ってくるテストの問題を見て私はこれを書いているのだが、それなりに工夫はされている。「型」の例を先に提示しておいて、その型に沿った別の文章を創作してみるという指導は、今の学校でも、やっていない訳ではない。先生による違い、ばらつきがあるようだ。


読書感想文についての福嶋隆史氏の意見はもっともである。感想の書きっぱなし、言いっぱなしで終わる現在の方法では、指導しようがない。福嶋隆史氏の提案する読書評論文というスキームを導入するのはひとつである。文学的文章が入試問題に不適切であるとの福嶋隆史氏の意見には同意するが、アウトプットを指向する高度な入試問題であればこの限りではない。たとえばその本をはじめて世間に発表する「出版記念パーティー」の席上、その本をプロデュースした当人の立場で「作品の魅力」「作者の簡単な略歴」「時代背景」「今後の発表予定」を取り入れて5分間の推薦スピーチを書いてみる、というように工夫を凝らす問題を作るのである。感想や感情の表現に着目するのではなく、あくまで「型」のアウトプットにはめ込むことが大切だ。こうしてみると、文学的文章が試験で活用できるのは、PISA風の高度なアウトプットに対応可能な上位5%の受験生だけだ。

本書で少し触れられている工藤順一氏の『国語のできる子どもを育てる』(講談社現代新書)という本は読んだ覚えがある。工藤順一氏もアウトプットを指向した指導をされている。一方で工藤順一氏は小説の醸し出すファンタジーの世界にとっぷり浸れと推奨している。国語教育に人格形成の役割を見込んでいる。

福嶋隆史氏は文学的文章を読むな、とは言っていない。試験に出題するのが悪い、といっている。

試験に出ない、出さないことが分ったら、今時の児童、学生は文学的文章を読まなくなるのであろうか。この点が少々興味深いところである。


人格形成のための国語(具体的には文学的文章)と、道具としての国語をこのさいはっきりと区別する必要がある。


音読が重視されはじめたのは斉藤孝氏が『声に出して読みたい日本語』を書いてからだろう。当方も、娘が学校から持ち帰る「音読カード」に◎○△を毎日付けさせられている。小学校の1年生のときだけかと思っていたら、5年生のいまでも、ほぼ毎日、やっている。当方も思考停止の状態で、あまり疑問にも感じてこなかったが、これはそもそも教育効果はあるものだろうか。昨日、娘が読んでいた『大造じいさんとガン』(椋鳩十)は良い話だが、礼讃されているのは武士道の精神世界、道徳にほかならない。

音読はパッシブな行為である。それよりは、アウトプット指向を強めるべきではないか。文部省の「ゆとり教育」方針への転換は授業時間の短縮を齎したが、それと同時に、「表現力」、「コミュニケーション力」が強化されたという前向きな側面があることを私は評価している。ただ、そのノウハウの獲得には手探りの状態が続いている。体系化、「型」の導入がここにも必要だと思われる。


世の中はディマンディングでアサーティブな外国人がたくさんいる。彼等に伍して立ち向かっていくにはそれなりの覚悟が必要だ。国語が全ての教科の基礎との文部科学省の考えには私は同意するものの、情緒性や人格形成の重視に偏った内容を、いま日本が必要とされている真の国語力への獲得へと大きく更新する必要がある。

外部の人間がとやかく言っても古い考えにとっぷりと浸かったお役所日の丸の文部科学省を動かすのは容易ではないだろう。私の考えだが、PISAがひとつの契機になるのではないだろうか。PISAをテコなり道具なりにして、日本がいかに海外と比べて劣っているかを示し、改革に結びつける。PISAの方向性については福嶋隆史氏も認めている。PISAはレベルが高すぎるのは事実なので、その簡易版を目指すというのはどうだろうか。



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Kiankou書評 ご参考

石原千秋『国語教科書の中の「日本」』ちくま新書, 2009年9月
テストの点数が上がるかどうかは不明だが、石原千秋氏の「受験国語シリーズ」は面白い。
『秘伝 中学入試国語読解法』(新潮選書、1999年3月)
『大学受験のための小説講義』(ちくま新書、2002年10月)
『秘伝 大学受験の国語力』(新潮選書、2007年7月)
『中学入試国語のルール』(講談社現代新書、2008年3月)

『PISAから見る、できる国・頑張る国2 未来志向の教育を目指す:日本』経済協力開発機構(OECD), 渡辺 良, 2012年3月
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ジャンル : 本・雑誌

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