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内山節のローカリズム原論

内山節のローカリズム原論 新しい共同体をデザインする』内山 節, 農山漁村文化協会, 2012年3月


社会のグラウンドデザインを考える際に、哲学の果たすべき役割が最近特に増している。町や村、共同体とは何なのか。そしてどうあるべきか。歴史や民俗あるいは都市政策といった様々なアプローチから共同体の「何たるか」の研究が進められているが、それを大きく取りまとめて方向性を示すのが政策の下地となるべき哲学の役割である。

少し前までであれば、哲学は形而上学の世界に閉じていればよかった。だが、現在の複雑な都市問題や環境問題を眼の前にして、解決のための具体的な方策を提示するものとして哲学が必要とされている。先日読んだ『風景のなかの環境哲学』 という本を著した桑子 敏雄という哲学者も、風景や環境問題を論じつつ、より現実的、実践的な問題との関わりを深めておいでであった。

内山節氏は群馬県の山村である上野村にひとつの生活拠点を置き、その視点からそこに暮らす人々の生活や、歴史を眺める。


さて、内山節氏の近代共同体に関する歴史考察であるが、そのはじまりを一揆などが頻発した江戸に置いている。為政者にとって、共同体はやっかいな存在であった、と看做しているところが面白い。自然発生的な存在としての共同体は自らの生活を守るために主張すべきを主張するという意識が高かったのは事実だろう。江戸時代にはつまり個人主義的な考えから共同体が存在していた。為政者は個人主義的な考えを捨てさせるために儒教を利用したというのが内山節氏の視方。歴史学者の山本博文氏は『鎖国と海禁の時代』校倉書房, 1995年6月という本の中で、徳川の治世は武威ではなく「徳」による治世を追求した、と著している。儒学は治世者には都合のよい学問だった。明治維新直後に福沢諭吉が儒学を攻撃し、個人の考えを強く持つよう促したのであるが、明治政府は天皇の神格化による新たな宗教を生み出してしまったのは歴史の皮肉である。

明治以降に作られた共同体は個人主義に基づくものではなかった。戦時体制のもと、為政者の利益を最大にすべく共同体は利用された。この装置はよほど強力であったのか、その後、敗戦を経て部分的に復活するに見えたが、地域的な共同体はここでじょじょに崩壊に向かった。高度経済成長期の日本は「会社」という単位の共同体に組みかえられつつ存続をつづけたのであるが、それもバブルの絶頂の1989年を境に、つながりは急激に弱体化しつつある。

そのむかし、社会学ではゲマインシャフトとゲゼルシャフトという言葉で共同体を定義し、地域的な結びつきは次第に廃れ、機能的な集団に移り変わると分析(予測?)していた。だが、その先の社会のあり方のヴィジョンを社会学は提供できずにいる。

江戸時代にお上の都合により儒教中心の共同体に強制的に変更されてしまって以降、個人主義を主体とする本来の意味での共同体は生まれてこなかったというのが実情である。


経済的な崩壊や、震災などを経て、新たな共同体のあり方を模索しつつあるというのが2012年の日本の今の状況である。その中で、今後の共同体のありかたとしてひとつのヒントになりそうなのが本書第7講で論じられている「風土論」である。三澤勝衛という方をこの書で初めて知った。地域と歴史の力に信頼を置く思想は桑子敏雄氏の視方にも通じるものがあると思われる。近いうち三澤勝衛氏の著作をよんでみよう。



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Kiankou書評 ご参考リンク

桑子 敏雄『風景のなかの環境哲学』東京大学出版, 2005年11月
内山 節『内山節のローカリズム原論 新しい共同体をデザインする』農山漁村文化協会, 2012年3月
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テーマ : 読んだ本。
ジャンル : 本・雑誌

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