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精神医学から臨床哲学へ

精神医学から臨床哲学へ』木村 敏(著), ミネルヴァ書房, 2010年4月


恥ずかしながら私はこの本を読むまで木村敏という方を存じ上げていなかった。知らない方の著作を、それも自伝から読み始めたのは初めての経験だ。そういう本の出会いもあってよいと思う。

この方は昭和一桁世代。私の両親もほぼ同世代である。私の両親は、ともに和歌山県出身であり、母は木村敏氏と同じ現在の橋本市出身である。もしかしたらこの著者と私の両親はどこかですれ違っていたのかもしれない。それにしても、この方とは全く別の境遇、人生だった。

この世代の方の不幸は私は両親から数多く聞かされている。旧制の学校から新制度への移行期。戦時中の暗い思い出。この自伝にもその苦労は語られているけれども、木村敏氏の筆にかかると、透明で、明るい青春時代であったように見受けられる。

この方の人生の基底には音楽がいつも流れている。叔父からもらったSP版のレコード。小さい頃に聞くこれらの音楽が及ぼす影響は計り知れない。

レベルは全く異なるのだが、私も幼稚園の頃クラッシックのレコード(私のはEP版とLP版)を与えられて繰り返し聞いていた覚えがある。私がのちにクラッシック音楽を少しずつ聴きはじめるようになる感受性の基礎はこの頃に出来上がる。

本書に登場する世紀の名音楽家たちとの交流が目を見張る。カール・リヒター・クナツパーツ・ブッシュ、ヴィルヘルム・ケンプ、ハンス・ホッター。まったく、うらやましい限りである。とくに、ヴィルヘルム・ケンプの自宅に訪れ、生演奏を聞かせていただく機会のあった日本人は、彼以外にはいなかったではないだろうか。

少々脱線をお許しいただければ、私もヴィルヘルム・ケンプが大好きだ。彼のベートーベンもシューマンも好きだが、その中でも彼の弾くシューベルトのピアノソナタ第20番が白眉の演奏である。シューベルトが最も表現したかった音楽は、このピアノソナタ第20番に凝縮されている。この曲は演奏者を選ぶ。アシュケナージもポリーニもブレンデルも全然ダメ、ケンプでないとダメなのである。

木村敏氏の文章は分かりやすい。私がそれをどれだけ深くまで理解しているかはここでは問わないでいただきたいが、ともかく、読む人にとっていかにわかりやすいか、それを常に念頭においているからであろう。

ミュンヘン時代に奥様がリートの個人レッスンに出かけた折にその先生から聞かされたこととしてこんなエピソードを紹介している。

歌の演奏が音楽として成就する場所は、演奏者のもとにおいてではなく、客席にいる聴衆の耳においてである。 - この教訓は、世阿弥の「離見の見」の教えにも通じるし、われわれが文章をかくとき、いとも自分と違った立場にいる読み手がそれをどう読むかの配慮が必要だという自戒にも通じるだけでなく、もっと大げさに言えば、自己が自己として成立するのはそのつどの対話の相手のもとであるという、私自身が後年展開することになる自他論の機微にも触れるもので、家内地震はもう忘れてしなっているかもしれないが、私の記憶には生き生きと残っている。

平たく言えば、読む人の立場に立つということである。

さて、木村敏氏は自らの著作について詳しくかつ平易に整理して説明している。そのうちの入門編にあたるいくつかの著作をそのうち読んでみよう。


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Kiankou

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新書・新刊・社会科学・自然科学・経済・青春小説・エッセイ・思想・教育・児童・絵本・書籍の読書感想、書評、レビュー。
新書入門、文庫入門で何を読もうかと迷っていらっしゃる方にも、ご参考になれば幸いです。profile


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