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戦国乱世から太平の世へ

戦国乱世から太平の世へ 〈シリーズ 日本近世史 1〉』藤井 譲治(著), 岩波新書, 2015年1月


戦国乱世の時代は力の論理が支配した。腕力の強い者、知恵のある者が生き延びるサバイバルゲームであった。この時代の武勇伝や名将の箴言を聞いたり読んだりすることもちょっと気が引ける。天下を獲ることを目的とするよりも、本書にも記述があるように、職業的に略奪や暴行を行う集団が定期的に村を襲うといったことが実際にあったようである。それらの行為が自らが生きる延びるためとしても、それまでの文明を否定して、原始の状態に戻らなければならなかった状態が継続したことは不幸としか言いようが無い。

一方では戦争の無い太平の世を願う気持ちがもちろんあっただろう。信長、秀吉、家康らが混乱を経てひとつの形に日本を導いた。武将たちの叡智と多くの偶然が作用して、今知る歴史の形へと修練されていった。

ひとつひとつの戦いの名前を覚えたところであまり意味は無いように思う反面、今日に及ぼす影響が無視できないくらい大きい。東京が今の形となっているのもこの頃の偶然に起因する。私が出来ることはその痕跡を少しずつ確認することくらいである。

江戸幕府は禁教令を出したのは何故だったのだろう。ここがいまひとつ分からない。鎖国令を布令する前提としては、日本人の男女が自由人であろうと奴隷であろうとに関わらず渡航を禁止し、外国との不要な接触と混乱を避けたかったというのは理解できる。ただ、それと禁教令とがどのように関係するのか、私には論理的な説明を未だ見出していない。

武威により説明するのが禁教令を発令した一つの仮説になるかもしれない。戦国時代は武力による統治であった。戦国時代を過ぎ、太平の世に入るに当たり、具体的な武力ではなく、武力を持っているかもしれない権力を誇示することにより、実際に武力を使わずにして統治する仕組み、それが武威であったとする考え方である。これは山本博文氏が『鎖国と海禁の時代』, 校倉書房, 1995年6月の中で書いていた。キリスト教は死を恐れない考え方。殉死してなお喜ばしいとの考え方は、武威による統治を進める治世者には脅威に映ったことだろう。

なお、家光の時代からは「武威」に代わって「徳」による統治を目指していった。武力も武威も捨て、「徳」こそが重要であると説く治世に移っていく段となれば、キリシタン的な世界に対抗することはできたはずである。江戸時代の初期にキリシタンが否定されたのは、江戸時代の治世がまだ未熟であったからだ、というのが私の仮説である。



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Kiankou books review シリーズ日本近世史

『戦国乱世から太平の世へ <シリーズ 日本近世史 1>』藤井 譲治(著), 岩波新書, 2015年1月
『村 百姓たちの近世 <シリーズ 日本近世史 2>』 水本 邦彦(著) , 岩波新書, 2015年2月
『天下泰平の時代 <シリーズ 日本近世史 3>』高埜 利彦(著), 岩波新書, 2015年3月
『都市 江戸に生きる <シリーズ 日本近世史 4>』吉田 伸行(著), 岩波新書, 2015年4月
『幕末から維新へ シリーズ日本近世史<5>』藤田 覚, 岩波新書, 2015年5月
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